「ベッケ&ライエン トロンボーンリサイタル」

ミシェル・ベッケは1954年、フランス・リモージュ生まれ。小さい頃からピアノとホルンを学んでいたが、父親がトロンボーンをすすめると、すぐにその虜になる。リモージュ音楽院、パリ国立高等学院で学び、ミュンヘン・プラハなどのコンクールで入賞。弱冠18歳でスイス・ロマンド管弦楽団の首席奏者に任命され、後にパリ・オペラ座管弦楽団に入団。1989年に同楽団退団後、ケルン音楽大学、リヨン国立高等音楽学院を経て、現在はローザンヌ高等音楽院で教鞭を執るほか、各種アンサンブル団体で活動している。
ヨルゲン・ファイ・ライエンはロッテルダム音楽院、リヨン国立高等音楽学院で学んだあとロッテルダムフィルに入団。そこでトロンボーン首席奏者に就任した後、1997年にロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団に入団、現在は首席奏者を務める。そのかたわらアムステルダム音楽院で後進の育成にあたり、2012年からは英国国立音楽院の客員教授をつとめている。来演はモダン・バロック両方の楽器に通じる名手として評価されており、ソリストとしてもトロンボーンの可能性に挑戦するレパートリーの開拓につとめ、聴衆を魅了している。
ピアノ伴奏の長尾洋史は、東京芸術大学卒業・同大大学院修了。1991年、HIMES海外音楽研修者派遣選抜コンクール第1位。1995年からパリ・エコールノルマルで学ぶ。レパートリーは古典派からロマン派・現代音楽まで幅広く、そのテクニックは精妙かつ緻密であり、透明で芯のある音色を持つピアニストとして、各地の演奏会で活躍している。

ベッケ&ライエン トロンボーンリサイタル

ミシェル・ベッケ(トロンボーン)
ヨルゲン・ファイ・ライエン(トロンボーン)
長尾洋史(ピアノ)
2014年3月3日 紀尾井ホール

ソナタト短調 作品2−8(ヘンデル フィヤール編曲)

原曲は2本のヴィオラと通奏低音のためのソナタだが、いつ作曲されたのかはわからない。
第一楽章 曲調全体がもの暗いトーンで覆われているが、ベッケの音色はほの暗く、弟子のファン・ライエンの音色は対照的にたくましさがある。この二人は師弟関係だが、音色のニュアンスに付け方がとてもよく似ている。
第二楽章 師匠の音色はやや不安定だが、弟子は奏でる音色、双方とも安定している。とはいえ、曲の半ばになると二人の息はぴたりと合ってくる。終盤の音色はとても華やか。
第三楽章 ゆったりとしたテンポに、二人は細やかな表情をつけていく。この曲が書かれた当時、ヘンデルはいったいどんな生活を送っていたのだろうか?「作品2」という若い番号が振られているから、おそらく彼が楽団にデビューして間もない頃だろう。デビューしたが、まだ当てになるパトロンもおらず、生活も安定していなかったに違いない。その不安やいらだちを、彼は音符に表現した。二人も、彼の精神状態をくみ取ったものに相違ない。
第四楽章 トロンボーンの伸びやかな音色を満喫できる楽章。トロンボーンって、なんと渋い音色を醸し出すのだろう。不安、悲しさといった負の感情を、二人は巧みに表現している。原曲も聴いてみたくなった。

小品 変ホ短調(ロパルツ)

※ファン・ライエンのソロ
ロパルツはフランスの作曲家。パリ音楽院で作曲とオルガンを学ぶ。作曲家としては後期ロマン派に属するが、教育者としての功績も大きい。1894年、当時はパリ音楽院の分校だったナンシー音楽院の院長に就任する。彼は1919年に退任するまでヴィオラ、トランペット、ハープ、オルガン、トロンボーン学科を増設し、教育環境を充実させていった。また、学生オーケストラを結成し、定期後援会を実施したのも彼である。その後1919年~29年まで、ストラスブール音楽院院長を務めた。
この作品は「小品」というタイトルがついているが、その中身はとても充実している。 冒頭はとてももの悲しい旋律が組み込まれ、中間部は勇ましく、そして後半は何事か決意を示したかのような旋律である。

カプリッチョ・ダ・カメラ 作品35(クロル)

※ベッケのソロ
クロルはドイツの作曲家。ウィーンとベルリンでホルン並びに作曲を学んだあと、1945~1962年までベルリン・フィルでホルン奏者、1962年~1979年までシュトゥットガルト放送交響楽団でホルン奏者を務めた。作曲をルーファーに学び、彼から十二音技法の洗礼を受けた。しかし彼の作品にはヒンデミット、レーガーの調性に連なる音楽が多い。
いかにも「20世紀でござい」といわんばかりの旋律美を導入した作品である。ピアノの音色は、ピアソラの影響を受けたと思われる旋律が至る所に見られる。全体的にヒンデミットやレーガーの影響を受けていることもあり、その作風はかなり難解。そのため、理解するにはかなり時間がかかりそうである。

ロマンス(スヴィリードフ)

スヴィリードフは旧ソ連・ロシアの作曲家。 クルスク音楽学校卒業後、レニングラード音楽院ではショスタコーヴィチに師事。ロシアの民族的主題に基づく作品が多く、ロシア国内では現会いも人気が高い。ソ連時代は「人民芸術家」の称号を受けている。
プーシキンの詩に曲をつけた、9曲で構成される連作歌曲集の1曲。帝政ロシア時代の圧政に苦しんだ庶民の怒り悲しみ憤りが、この演奏を通じてひしひしと伝わってくる。歴代ロシア皇帝の中では、エカチェリーナ2世、アレクサンドル1世が「啓蒙君主」と言われるが、前者の治世後半は保守反動化した上、後世の歴史家から「貴族と農奴の格差がとてつもなく広がった。こんな時代は、他の皇帝には見られない」と批判された。後者は理想こそ高かったが、その行政手腕は中途半端なものになった。彼ら農民・庶民がその恩恵を受けることは少なく、もし彼らの労苦が報われていたら、ロシアの歴史も違っていただろうに。

オプリヴィオン(ピアソラ シャピュイ編曲)

イタリア映画で使われる音楽のために書かれた作品で、タイトルは「忘却」という意味である。だが映画はヒットせず、音楽もさほど話題にならなかったため、この作品は文字通り「忘却」されていた。ところがミルバというカンツォーネ歌手が、フランス語の歌詞をつけて歌ったところ大ヒットし、世間に知られるようになったそうである。
バンドネオンによる名曲でおなじみの「ピアソラ節」を堪能できる名曲。音楽家としては数々の栄誉を受けたピアソラだが、この曲の旋律は怖ろしく暗い。映画の内容もわからないので憶測になるが、アルゼンチン生まれの「一市民」としては、当時のアルゼンチン政権の圧政に憤りを感じていたはずだ。この曲の旋律は、彼の祖国に対する憤りを感じさせる。

ヴィオレンタンゴ(ピアソラ カンス編曲)

ピアソラの情熱が垣間見える曲。タンゴのハーモニーが、陰影に富んだトロンボーンの音色によって見事に表現されている。この曲にも、ピアソラは世間に対する憤りを盛り込んでいる。自分たちは圧政に負けないぞ!そんな作曲家の心意気がうかがえる曲である。

朧月夜(岡野貞一)

岡野貞一は、鳥取県出身の作曲家。早くに父を亡くし、苦労して育つ。14歳でキリスト教徒になり、当時通っていた教会の宣教師からオルガンを習う。同じ年、東京音楽学校(現:東京芸術大学)の第二代校長・村岡範為馳の公演に影響を受け、音楽家を志す。当時通っていた学校を中退して東京音楽学校に入学。卒業後は30年以上母校の教官として後進の育成に努めるかたわら、本郷中央教会でオルガニストとして活動、同教会の合唱団も指導した。約160校の校歌を作曲し、今もなお50校以上の学校で歌われている。この曲は1914年以前に作曲されたと思われるが、実際に彼が作曲したのか、疑わしい意見もあるようだ。
二人の演奏は、実際に歌っているかのようである。二人の渾然一体となったハーモニーが美しい。

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