「アトリウム弦楽四重奏団 演奏会」

今回のプログラムは、アトリウム四重奏団演奏会の模様を紹介する。
この弦楽四重奏団は2000年、サンクト・ペテルブルク音楽院の学生により結成。2003年、弦楽四重奏団の世界的権威である、ロンドン国際弦楽四重奏コンクールで第1位&聴衆賞を受賞し、これをきっかけに国際的に活動を開始。同年、サンクト・ペテルブルク音楽院を卒業。その後はハンス・アイスラー音楽大学(ベルリン)に学ぶかたわら、シュテファン・メッツ、アルバン・ベルク四重奏団、東京カルテットのメンバーから指導を受ける。2007年、5回ボルドー国際弦楽四重奏コンクールで優勝。その後は、世界各地の音楽祭に招待されるなど、活発的に演奏活動をしている。2009年初来日。2013年の来日公演では、ショスタコーヴィチとチャイコフスキーの弦楽四重奏曲全曲公演というプログラムを組む。前者においては「ショスタコーヴィチ・マラソン」と名付け、全曲を1日で演奏するという、意欲的なプログラムで話題を呼んだ。

アトリウム弦楽四重奏団
アレクセイ・ナウメンコ(第1ヴァイオリン)
アントン・イリューニン(第2ヴァイオリン)
ドミトリー・ピツルコ(ヴィオラ)
アンナ・ゴロレヴァ(チェロ)
2013年12月9日 東京文化会館小ホール

アトリウム弦楽四重奏団 演奏会 プログラム

弦楽四重奏曲第2番ヘ長調 作品22(チャイコフスキー)

1873年末~1874年1月にかけて作曲された作品である。チャイコフスキーは弟宛の手紙の中で
「これほどにたやすく、すらすらと書いた曲はこれまでなく、ほとんど一気に作曲した」
と記している。彼はこの曲に自信を持っていたようで、第一楽章を自分の内面から湧き起こった本当の感情のこもった作品として、誇りに持っていたという。1874年3月、フェルディナント・ラウプらによりモスクワ音楽協会室内楽演奏会で初演され、コンスタンティン・ニコラエヴィチ大公に献呈された。この曲を聴いたヴァイオリニストのレオポルド・アウアーは「ベートーヴェン的な力を持っている」と評価した。
第一楽章 ヘ長調で始まる曲のはずなのに、やたらと陰鬱な雰囲気が漂うのは、作曲者が持つ躁鬱的な雰囲気を持っているからだろうか?作曲者は、己の才能に自信を持っているが、なかなか周囲がそれをも認めてくれず、いらだちを感じているようだ。展開部にはいると明るい雰囲気が漂い、思わず踊りたくなってしまうほどリズムの切れがよい。どうやら、彼に理解者が現れたようで、4人もそのことを訴えたいのだろう、作曲者と親密な対話をしているような雰囲気が漂う。交響曲と同様、この作品にも濃厚なスラブ的旋律がふんだんに盛り込まれている。コーダの勢いはこの上なく激しく、チャイコフスキーは本来情熱かなのではないかと思わせるに十分。だがその直後にゆったりとしたテンポになるのは、どこか醒めたところがあるからだろうか。最後の情熱的な旋律は、舞台上でテノールが歌うかのような雰囲気が漂う。
第二楽章 三部形式のワルツ調の曲で、アンコールでもしばしば取り上げられるほど有名である。思いを寄せる人を見つけたのだろうけど、その人と添い遂げられるかどうか不安だという、作曲者の意識が垣間見える。中間部は三拍子のワルツになる。しかし明るい旋律だけではなく、暗い響きも随所に盛り込まれているのは、人生は幸福なときだけではない、いつか不幸になるのだが、それがいつどんな形でやってくるのかわからないという、チャイコフスキーの深層心理の表れなのだろう。再び戻ってくる主部においては、作曲者の苦悩の様子が露わになる。だが彼は最後の響きで、こんな社会は自分でぶち壊してやるという意思を見せる。
第三楽章 前楽章とは一転して、この上なく暗い雰囲気が漂う。躁鬱的な響きも、第一楽章より強くなっている。創作の筆はいっこうに進まず、聴衆や楽壇の評判も上がらない。自分の音楽は、いつになったら認められるのだろうか?チャイコフスキーがこの曲を書いたのはまだ30代だが、その彼をここまで苦しめていたのはものは何かに興味がある。一説によれば、彼は同性愛者だったらしいが、当時のロシア社会(今もだが)は、同性愛には極めて厳しかった。オトコがオトコを愛してどこが悪い?近代西欧ではごくありふれていたことが、なぜロシアでは認められないのかという、彼の憤りがこの楽章にこめられているように思えるのは、私が彼を同性愛者だと知っているからかな?コーダで用いられる旋律は、どうあがいても自分の音楽と考えは認められないのだという、一種の諦めに似たような雰囲気を感じる。
第四楽章 ポロネーズ風の旋律を大胆に導入した楽章。ここまでくると、作曲者のある種の「開き直り」を感じさせる。演奏者も作曲者の心中をおもんぱかったのか、ウダウダいってもしょうがない、だったらとことん弾けてやろうじゃないか!という、ある意味で爽快感を感じさせる演奏になった。コンサート会場だから聴衆もおとなしく、かつお行儀よく聞いているが、本当だったらロックコンサートみたいに、手拍子ではやし立てながら手を取り合って踊りたいのではないか?演奏者も本音ではそう思っているはずである。最後に出てくる不協和音は、まるでショスタコーヴィチのようである。

演奏会チャイコフスキーの主題による変奏曲 作品35a(アレンスキー)

アレンスキーはロシア末期の作曲家・音楽教師(1861年~1906年)。富裕層に生まれたおかげで、幼児期から音楽教育を受けることができた。リムスキー=コルサコフに作曲を学び、ペテルブルク音楽院を優秀な成績で卒業する。翌年にモスクワ音楽院作曲科講師に就任し、弱冠28歳で教授に昇格。モスクワ音楽院時代の教え子にラフマニノフ、スクリャービンなどがいる。しかし30代半ばで精神疾患を患い、それが悪化して音楽院を退職し教壇から去った。退職後はサンクトペテルブルク宮廷礼拝堂の学長に就任し、作曲・演奏活動に専念する。作曲家としては、全部で250曲ほどの作品を書いたが、その分野は交響曲から声楽曲までと多彩である。作風としてはロシア民謡風の旋律を盛んに使っているが、リムスキー=コルサコフ、チャイコフスキーの他ショパン、シューマンの影響も受けているので、同世代のロシア作曲家に比べ、ロシア的に響くことはないといわれている。ピアノ曲の多くはサロン音楽の影響を受けているそうだが、そのせいか彼の音楽は生前「折衷主義だ」と批判された。そのため本人は、この評価にかなり不満だったといわれている。
この曲は1893~94年にかけて作曲された弦楽四重奏曲第2番の第二楽章を、弦楽合奏用に編曲したものである。原曲はヴァイオリンではなくチェロが2人という特異な編成で、チャイコフスキーに尊敬の念をこめて作曲されたと考えられている。
主題は第一ヴァイオリンに登場し、他の楽器は和音を加える。ロシア音楽らしい、どこか哀愁に満ちた音楽である。
第一変奏は、チェロが朗々たる旋律を奏で、他の楽器が和音を奏でる。主題とはまた違った響きを楽しめる。
第二変奏ではヴィオラが主題を奏で、チェロがピチカートを演奏、ヴァイオリンの二人が装飾する。
第三変奏では再びヴァイオリンが主題を演奏する。ここでの演奏は浪漫的な響きを感じさせる。
第四変奏はポルカ的な旋律で、これまでの変奏とは趣を異にする。リズムがせわしなくなることから、何か不幸なことが怒ったのではないかと思わせる雰囲気が漂う。
第五変奏はチェロが主題を歌い、他の3人がチャイコフスキー的な旋律を加える。作曲者の焦燥感がもろに伝わってくる。
第六変奏は激しい主部と、浪漫的な主題の対比が強調される。
第七変奏は逞しいチェロの音色ではじまり、第一ヴァイオリンが切々と己の胸中を語るという趣が漂う。
コーダでは主題が重々しい雰囲気で再現され、ロシア正教で使われる成果のような旋律が登場する。最後は再び主題が登場し、静かに曲を終える。
4人の演奏はなかなか力がこもっており、曲の魅力を伝えるのに十分な演奏だと思った。

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