「札幌交響楽団演奏会」

札幌交響楽団(以下札響)は、1961年に札幌市民交響楽団として設立された、北海道唯一のプロ・オーケストラである。1962年に財団法人となり、名称も札幌交響楽団に変わった。1997年の定期演奏会からは、札幌コンサートホールKitaraで開催されている。定期演奏会は年間10回開催するほか、札響名曲シリーズを年間5回、そのほかに特別演奏会、kitaraホール主催のコンサートにも登場する。
この演奏会を指揮したラドミル・エリシュカは1931年チェコ・ズデーテン地方生まれ、8歳からヴァイオリンを習い始め、ブルノ音楽大学卒業後は主にチェコ国内のオーケストラで活動する。1978年から2008年までプラハ音楽大学で指揮科教授をつとめ、2001年~2013年まで、チェコ・ドヴォルザーク協会の会長も務めた。初来日は2004年で、その時は東京フィルハーモニー交響楽団、名古屋フィルハーモニー管弦楽団を指揮している。2008年から札響首席客演指揮者に就任(2015年から名誉指揮者)。札響とはドヴォルザーク、ヤナーチェク、ブラームス、チャイコフスキーのチクルス(全曲演奏会)に取り組み、これらの作品も録音している。

ラドミル・エリシュカ(指揮)
札幌交響楽団
2014年11月14日 札幌コンサートホールKitara

札幌交響楽団演奏会 プログラム

歌劇「魔団の射手」序曲(ウェーバー)

ウェーバーが書いたオペラの序曲。台本はフリードリヒ・ラウン作の「怪談集」をもとに台本が書かれ、1821年に初演された。
冒頭から弦楽器群の逞しい響きと引き締まった造形が素晴らしく、曲を盛り上げる力も強い。札響のメンバーが1回共演しただけで「本物だ」と判断したのも当然だろう。ホルンに力強さがあればいいなと思うが、9分過ぎからの表現はとても雄大で劇的。木管群の音色は色彩感豊かで、弦楽器が醸し出す色艶も見事である。14:20からの響きは盛大でパワフルであり、ファンファーレにふさわしい響き。序盤は音色が不安定だった金管楽器も、後半になって持ち味を発揮した。

交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」(モーツァルト)

第一楽章 力強さとしなやかさを兼ね備えた導入部。さあ、これから舞踏会の始まりです。テンポがゆっくり目なのは、今日はどんな人が来ているのか様子を探っているのだろうか。長い導入部のあとに出てくる第一主題は、フィガロの結婚からとられているだけあり、聞いている人間に音楽を演奏する歓び、歌う歓び、聞く歓びを教えてくれる。舞踏会の参加者も、こんな雰囲気で踊ってみたいと思うだろう。今日はどんなショータイムになるのか?せかせかした音の動きは、会場内のあちこちで交わされる、相手の品定めとお見受けした。しなやかな弦楽器の響き。まさにこれぞ宮廷音楽。お嬢さん、こんばんは私と踊ってくださいな。ええよくってよ、そのかわり優しくしてくださいね。ええいいですとも、今晩は私と一緒に楽しいひとときを過ごしましょう。木管群が、若い二人にしきりに愛を囁いている。いってみれば、この舞踏会は「国家公認の合コン」。相手が決まっていない参加者は、いい人がいるかしらと会場を右往左往。あらイヤだ、もうこんな時間だわ。早く素敵な人を見つけて、私もいい夢を見たい!華麗なフィナーレ、果たして今宵のカップル成立率が気になる。
第二楽章 晴れて成立したカップルは、これから愛の冒険に出発する。夜も更けて舞踏会もお開きになり、男女二人は静かに自分たちの世界に向かう。部屋に入るなり、男は淑女令嬢をベッドに即押し倒す?いやいや、それは無粋ってもんでしょう。酔い覚めのコーヒーやお茶を飲みながら、二人は共通の趣味がないかと探りを入れる。さてさて、相手は一体どんな考えの持ち主で、どんな家柄で、果たして自分と釣り合いがとれるのかどうか?暗く聞える響きは、ひょっとして自分の願いは、相手にどの程度届いているのか不安に思う気持ちの表れ?ああ残念だ、あの方は自分が思っているのとは違う人だ。いいえ、趣味や嗜好は一致しても、私の家とは釣り合いがとれませんわ。おそらくそんなやりとりが交わされているのだろう。ありったけの知恵を振り絞って繰り広げられる恋の駆け引き。さあ、一体どんな結末が待っているのだろうか?
第三楽章 晴れてお互いの気持ちを確かめ合った二人。やった、私の願いは相手に届いたんだ。もう嬉しくて嬉しくて、この気持ちはまるで天に昇る心地である。ボクは、私はあなたが好きです!おつきあいしてください!ええよくってよ。さて、二人でどこに行きましょうか?二人きりで話し合いましょう。やがて二人の関係は、人目を忍んでの逢い引きをするまでに発展する。ベッドの上で、二人きりで繰り広げられる饗宴の宴。快楽の頂点を迎えたかのような烈しく、高い声が部屋いっぱいに鳴り響く。ズンズンというリズムが、男性の動きを想起させる。そして迎える強烈な絶頂。全身汗まみれになりながら、二人はにっこりと笑う。この二人は、どんな将来をたどるのだろうか。

交響曲第2番ニ長調 作品73(ブラームス)

ブラームスが避暑で訪れていた、ペルチャッハの山荘で書かれた交響曲。着想から完成まで20年かけた交響曲第1番とは対照的に、この曲はわずか4ヶ月で書き上げた。作曲期間が短かったことから、この作品は交響曲第1番と並行して構想を練っていたのではないか?という説も存在する。初演は1877年12月30日、ハンス・リヒター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団により行われた。この初演は大成功をおさめ、第三楽章がアンコールされた。翌年9月には、作曲者自身の指揮により、故郷であるハンブルクで上演された。
第一楽章 ホルンに導かれて登場する牧歌的な第一主題と、チェロに導かれる、しなやかだが陰りと愁いに満ちた第二主題の対比を、どう理解したらいいのだろうか?これは、人間の建て前と本音を表現したものなのか?それとも、人生における陰と陽を表現したものなのか?作曲された時期が1870年代後半である事を考えると、おそらく今後の都会と地方のあり方について思いを巡らせていたのかも知れない。はたまた、叶うことのない恋の追慕なのかな?ティンパニの連打は、過去の自分との決別を決意したからのように思える。木管群の旋律は、母なる自然に感謝の意を表しているのだろうか。コーダでのホルン独奏が、もう少し安定してればよかったのだが。ロマン的情緒溢れる弦楽器の響き、楽しさ溢れる木管群の音色は素晴らしい。
第二楽章 愁いをおびた第一主題を奏でるチェロ、対位法的に絡んでくるファゴット、孤独なホルンの響き、それを慰めるかのような木管群、ヴァイオリンが奏でる深い深い慟哭。第一楽章で聴かれた明るい響きは、この楽章ではなかなか出てこないのがもどかしい。おそらくブラームスは、交響曲第1番を書いていたときと同様、自分で納得がいく旋律を生み出せず呻吟していたと思われる。こんなはずでは、 こんなはずでは、こんなはずでは!自分の思うとおりにならないのが世の常とはいえ、思わず我が身に降りかかった運命を呪わずにはいられない。どうして、どうして、どうして?ヴァイオリンが奏でる、深い深い後悔の感情。どうすればよかったのか?これでよかったのか?神様、教えてください!私のあの時どうすればよかったのですか?ヴァイオリンの経過主題は、ヴェルディのレクイエムみたいな響き。そして静かにやってくるその時。ええ、あの時は本当にこれでよかったのかも知れませんという、すべてを悟りきったかのような響き画家以上に鳴り響く。
第三楽章 第三楽章とは対照的に、未来に希望を抱けるような雰囲気が漂う。木管群が奏でるメロディが実に楽しいが、そのあとに出てくる弦楽器の響きは実に厳しい。「世の中は、そんなに甘いもんじゃないんだよ」ということをいいたいのだろうか?いいえそんなことはありません、この世界は希望に満ちています。あなたのいうことは少々悲観に満ちていませんか?少しは希望を持ちましょうよと諭しているかのよう。まるで哲学問答をしているかのような楽章。
第四楽章 第一主題が弦楽器の弱音で開始され、直後にアタッカでの爆発的な歓呼、穏やかさと情熱を秘めたヴァイオリン・ヴィオラの響き、この上なく賑々しい展開部、最初のの時よりも幾分速めのテンポで回帰される第一主題。爆発的で力強いコーダは、情熱的で力強い。世情が安定しないからといって、世の中の人間が悪人ばかりとは限らないと説得されたような気分。希望を捨てるな!といわんばかりの弦楽器の歌。爆発的で情熱がどんどん溢れてしょうがないんです、といわんばかりの表現。これが今年84歳(当時)になる老人の奏でる音楽とは到底信じられない。どこにそんなエネルギーが溢れているのだろう?その情熱的な指揮ぶりは、ちょっとやそっとで人生を投げるな、自分なんか今のワカモノよりも、ずっと辛い目に遭ってきたんだよと励ましているかのようだ。演奏後は、聴衆が総立ちになって拍手を送っている。オーケストラと指揮者の幸福な関係が、ここにある。

コンサート・プラス プログラム

アヴェ・マリア(グノー)
神の御子は今宵しも(ジョン・フランシス・ウェイド/デーヴィッド・ウィルコックス編曲)
我らは来たりぬ(ジョン・ヘンリー・ホプキンス/ラルフ・オールウッド編曲)
もろびと声あげ(作曲者不詳/カール・ティール編曲)
ハレルヤ・コーラス(オラトリオ「メサイア」から)(ヘンデル)

ゲオルク・バルチュ
マルク・エリック・ミッチャーリンク
ヤコブ・ウーリヒ
ユリウス・ハウプト(以上 ボーイソプラノ)
ドレスデン聖十字架合唱団
ホルガー・ゲーリング(オルガン)
ローデリヒ・クライレ(合唱指揮)
多田茂史(歌詞翻訳)
2012年12月7日 東京オペラシティコンサートホール

コンサート・プラスのプログラムは、ドレスデン聖十字架合唱団の演奏から。
ドレスデン聖十字架合唱団は13世紀に結成され、ドレスデン聖十字架協会を拠点にしている。合唱指揮者はクロイツカントル、歌手はクルツィアナーと呼ばれる。合唱団には付属の寄宿舎つき学校があり、少年たちはここで生活している。そして卒業後は、全寮制の学校に就職する。この合唱団からは数多くの歌手・音楽家を輩出しており、テオ・アダムやペーター・シュライヤーらはこの合唱団の卒業生である。
「処女懐胎」の厳粛な雰囲気が漂うアヴェ・マリア。やや音程が不安定なところがあるが、澄んだ音色が美しい。パイプオルガンの響きと少年合唱団の長所が見事に溶け合った「神の御子は今宵しも」。ただ、子どもたちの一部は、歌詞の意味をわかって歌っているのか疑問に思うところはある。無垢な子どもたちが、神の偉大さを歌にこめる。下手をすれば、カルト宗教のやり方だと思う人もいるだろう。こういう見方は、私が神の存在を否定する無神論者だからだろうか?幸福な朝に生まれた汝と讃えられる神イエス。だがその人生が苦難に満ちているのは、誰もが知っていることだ。
東方の三賢人を讃える「我らは来たりぬ」。ひたすら神を讃え、我々を優しく見守ってくださいと歌う信者達。彼らは一体星に何を願う?澄んだ歓喜の声で歓びを歌う「もろびと声上げ」。だが日本では讃えられるのは「汝イエス」ではなく「恋人」。外国では「聖地」で神様を讃えるのだが、この時期の日本では「ラブホテル」という「聖地」もとい「性地」で「歓び」の声を上げる。なんていっても日本では「聖夜」ならぬ「性夜」なのだから。だから私の耳には、神を讃える「オラトリオ」ですら、恋人の愛が成就する光景しか思い浮かばない。海外ではキリスト教会で「ハレルヤ!」と叫んでいるそばから、我が国では女性たちがホテルのベッドで狂おしく、そして破廉恥な「イックーッ、イッチャウワー!!」という歓びの声をあげている。こんなことを書く私は破廉恥な中年である。

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