「マヌエラ・ヤンケ&セグレ リサイタル」

「ヴァイオリン・リサイタル」といわれれば、ヴァイオリンとピアノの演奏だと思う人が圧倒的多数だろう。ところがこのリサイタルはヴァイオリンとギターという、異色の組み合わせである。どんなコラボレーションになったのか、興味津々だった人も多かったに違いない。
ヴァイオリニストの有希・マヌエラ・ヤンケは1986年ミュンヘン生まれ。父はドイツ人でミュンヘン音楽大学のピアノ科教授、母は日本人ピアニスト。3歳でピアノとヴァイオリンをはじめ、9歳でソリスト・デビューを果たした神童。モーツァルテウム国立音楽大学で学び、2012年よりドレスデン・シュターツカペレの第一コンサートマスターを務めている。本オーケストラで、女性がコンサートマスターをするのは初めてである。また姉・2人の兄とともにピアノ四重奏団を結成し、活発に演奏活動を展開している。
ギタリストのエマヌエーレ・セグレは1965年生まれ。ミラノ音楽院でルッジェロ・キエサに師事したほか、ジュリアン・ブレーム、ジョン・ウィリアムが主催するマスタークラスで学ぶ。数多くのコンクールに優勝した後、1987年にカーネギーホールにおいてリサイタル・デビューを果たす。その後は世界各地で活発に演奏活動を展開している。

(ヴァイオリン)
(ギター)
2014年2月24日 武蔵野市民文化会館小ホール

マヌエラ・ヤンケ&セグレ リサイタル

(マウロ・

マウロ・ジュリアーニは19世紀前半に活躍した、ナポリ王国(現イタリア)出身のギタリスト・作曲家。最初は弦楽器(ヴァイオリン&チェロ)を学んでいた。しかし彼の音楽的才能が開花したのは、ギターを学びはじめてからである。ギターの師匠は現在も詳らかになっていないが、学び始めてから短期間で、この楽器の技法に習熟した奏者になった。19世紀初頭にウィーンに進出し、洗練された音楽センスとギターの超絶技巧を持つ彼は、ウィーンの上流階級が多く集う社交界で有名になった。ここではギタリストとして活動したほか、優秀なギター教師として多くの人材を育成し、作曲家としても細やかながら成功を得た。しかし栄光の時代は長く続かなかった。経済的に困窮してウィーンを離れてイタリアに戻ったが、故国での活動はさほど活発とはいえなかったようだ。晩年はギターの高度な技巧を持つ娘とともに、ギタリストとして活動した。
本作は1817年頃に書かれた作品で、ギターとヴァイオリン、またはフルートのための作品である。
第一楽章 ウィーンの上流階級が翌顔を出すサロンでは頻繁に流れているのだろうな、という雰囲気が溢れる曲。のびのびと自由な節回しを聴かせるヴァイオリンを、ギターは一音一音くっきりと、かつ粒の揃った音色でこれを支える。ヴァイオリンの音色は、さしずめ恋に夢中になっている貴婦人といった風情。私はあの方をこれだけ愛しているのですわ。あの方もまた、私のことを熱烈に愛してくださいますの。私たちはいま、幸せの絶頂にいるのですわ。もう誰にも、この恋の邪魔はさせませんわよ、とのろけまくる貴婦人。。
第二楽章 ヴァイオリンのしみじみとした音色、ギターの叙情的な雰囲気溢れる演奏が印象的な楽章。どうやらこの恋は終わってしまったのか、あるいは相手の浮気を知って落ち込んでいるのか、それとも思わぬところから横やりが入ったのか。一ついえることは、女性はこの恋を諦めていないということ。彼女は未だにこの恋に未練たっぷり。私はあんなにあの方に尽くしてきたのに、どうしてあの方は私の気持ちに気がつかないのでしょう。お願いです。いい加減、私の気持ちに気がついてくださいなと、貴婦人は心の中で思う。
第三楽章 どうやら、二人はよりを戻したようだ。嬉しくて嬉しくてしょうがないという雰囲気が溢れている。おそらくこのヴァイオリニストも、実生活で似たような体験を繰り返してきたのだろう。確かに私は恋多き女ですわ。それは認めます。でもあの方は私に、恋の、愛の、そしてオンナの歓びをたっぷり教えてくれましたの。あの方に抱かれるたびに、私は何度も天に昇るような気分を味わったのですわ。あんな体験をさせてくれた人は、あの方だけですの。何とも色っぽいヴァイオリンの響きである。
第四楽章 ヴァイオリンの響きはますます熱を帯び、奏でる音色はまさに恋する女。おそらく夕べも、情熱的に彼氏と愛し合ったのだろう。ええそうですわ、夕べは一晩中愛し合っていましたの。まだその時の余韻は残っていますわよ。もう私はあの方になにもかも捧げてしまってもいいわ。夕べは、あの方にはしたない姿をさらしてしまいましたの。優しい愛撫と逞しい衝撃に身を貫かれて、何度も何度も声を上げてしまいましたの。なんと優しく逞しい人なのでしょう。もう私はあの方以外にあり得ませんわ。

ギターとフルートという編成で、1986年に書かれた作品。4楽章で構成され、各楽章にはサブタイトルがついている。タンゴ変遷の歴史を、1900年から30年ごとに区切って描き出した、ピアソラの代表作の一つである。

1900年の酒場(ボーデル1900)

ハバネラやミロンガのリズムが濃厚に現れている作品。第一楽章が「1900年」なのは、タンゴは1900年頃の酒場で、ギターとフルートで演奏されたのがはじまり、という説に基づいているから。ヴァイオリンは情熱的に歌い、ギターはこれを堅実に支え、煽り、黒子のように振る舞う。1900年代のアルゼンチンの酒場は、こんな雰囲気だったのかと思っていたら、こちらのサイトでは「娼婦の家」と紹介されていた。初演者によれば、冒頭のフルートの高音は、取り締まりのために警官がならした鼓笛の音だそうだ。ギタリスト・鈴木大介は、この作品を原題で紹介していた。そりゃ、NHKで「娼館」とは紹介できないよな…

1930年のカフェ

哀愁感溢れるギターの旋律が印象的。ギターに導かれるヴァイオリンの音色はどこか暗い。ヴァイオリンは泣きながら、過去の恋愛を振り返っている。いくら後悔しても泣いてもわめいても、失われた時はもう戻ってこない。あの時違った選択をしていれば、もっと違った結果になっていたかも知れないのに。沢山恋をしてきたのに、結末が同じなのはどうしてなのでしょう?なにが恋の障害になったのでしょう?お金?生まれの身分?それとも、運?そのどれもが原因なのかも知れないし、そうでないのかも知れない。周りには誰もいない。女は一人で酒を飲んでいるのだろうか。酔いがどんどん回ってきて、涙が止まらなくなってしまった。ねえマスター、私の愚痴を聞いてくださらないかしら?いくつもの恋を重ねてきたのに、どうして私の恋は実らなかったのかしら?すすり泣きながら過去の恋バナをする女を、マスターは優しく見守っている。テンポが遅いのは、この時代になるとタンゴが忘れかけている、という意味がこめられているのだそうだ。

1960年のナイトクラブ

さすがに1960年代になると、雰囲気が華やかになる。伝統のリズムから脱却し、新鮮なハーモニーとメロディーを織り込んだ、新しいタンゴが登場したからだ。だがいつの世にも一人でやけ酒をあおっている人間がいるものだ。戦争も終わり、経済は発展して生活は豊かになりつつあるのに、時代の流れにとり残される人はいるものである。後半出てくる「ギーギー」というのこぎりみたいな音は、彼の不満を表したものだろうか。時代の変化とともに、スタイルが変わるのはしょうがない。だが、タンゴの本質が変わるのは我慢ならない。そうだろう?後半に出てくるヴァイオリンの音色は「タンゴの本質とは何か?」を悟らせるような雰囲気がある。

現代のコンサート

現代音楽の影響をもろに受けたのか、ありとあらゆるリズムが盛り込まれている。先の楽章では、濃厚な旋律美に溢れていたのに、この楽章は激しいリズムが次々と登場する。そしてあっという間に終わる。しかし、タンゴの本質は忘れられていない。

アーサー・レヴァリング編曲)

ハンガリー王国(当時)に属していたルーマニア各地の民謡を素材に、小品6曲で構成されるピアノ組曲として書かれた作品。民謡に彼独自の和声をくわえることで、新たな生命を与えている。技巧的には平易だが、演奏においては、楽譜に記載されていない民族音楽的な情緒が求められるなど音楽的要求は高い。旋律は親しみやすく、長さも手頃である事から、コンサートにもよく取り上げられる。1915年にピアノ曲として作曲されたが、2年後に作曲家自身により、小規模オーケストラのために編曲された。1920年1月に、当時ハンガリー領だったコロジュヴァール(現ルーマニア領クルージュ=ナポカ)で初演された。献呈は、バルトークの民謡収拾に多大なる貢献をしたイオン・プシツィアに捧げられる。

棒踊り

とても情熱的で勇ましい旋律に溢れている。ヴァイオリニストの音色は、厳しく、激しく、そして情熱的だが、どことなく寂しげな雰囲気も漂わせている。

腰帯踊り

情熱的だがどこか寂しい。

 踏み踊り

ギターの音は集団で足踏みをする音。ヴァイオリンはそれに反抗するかのように絶叫している。まるでジプシーのダンスのようだ。

ホーンパイプ踊り

情念がたっぷり詰まった音色で演奏されるヴァイオリン。まさに何かにとりつかれたかのような演奏である。

ルーマニアのポルカ

とても賑やかなメロディ。ヴァイオリンもギターもどこかはじけている印象を受ける。

速い踊り

これまでの情熱を思い切りぶつけたかのような音楽。ギターヴァイオリンも、フィナーレに向かって思い切り突っ走る。

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