「NHK交響楽団 第1788回定期公演」

第1788回定期公演は前回に引き続き、ブロムシュテットを指揮台に迎えた。
今回のプログラムで取り上げられた、チャイコフスキー交響曲第5番は、第1768回定期公演において、ソヒエフの指揮で演奏されている。ソヒエフとブロムシュテットの解釈の違いに興味を持った視聴者も多かったに違いない。

NHK交響楽団 第1788回定期公演 プログラム

(指揮)
NHK交響楽団
2014年9月19日 NHKホール

交響曲第40番ト短調K.550(

第一楽章 冒頭はリハーサル画面のところで「もう一人の自分と対話するよう、内省的に演奏してくれ」と指揮者は伝えていたが、出てきた音は「内省的」とはほど遠いもの。弦楽器のフレーズは大きくとられ、ゆったりとしたテンポであり、色彩感も豊かだが、この曲が持つ劇的で悲劇性をことさら強調するような解釈になっている。
第二楽章 冒頭のテンポはやや速め。フレーズもゆったりと大きめにとられている。基本的には、第一楽章と解釈の方向性に変化はないが、弦楽器の音色に魅力が乏しいところがある。展開部の木管のやりとりには侘しさが見えるが、晦渋さというのはあまり感じられない。全体を通して典雅さというのはあまり感じられず、むしろベートーヴェンの初期交響曲のスタイルを意識したような演奏になっている。
第三楽章 タイトルに「メヌエット」とついてはいるが、一般的なメヌエットのイメージからはほど遠い楽章。変拍子的な色彩が強調されているから、この演奏ではダンスを踊るのは難しいだろう。もし彼の解釈通りにこの曲が演奏されたとしたら、おそらく18世紀後半の聴衆には、前衛的な響きに聞えたはずだ。第一楽章と同じく、この楽章が持つ悲劇性が強調された解釈というべきか。3年後にやってくる死の影を、作曲家は見たのだろうか?今となっては、それを確かめる術はない。
第四楽章 一見して普遍的な解釈を踏襲しているようにも思えるが、フレーズの強弱にわずかな差をつけているように聞えるのは私だけだろうか。作曲者がこの楽章で暗い調性をとったのは、これまでの因習・束縛から逃れ、新しい社会を音楽を通じて作っていきたいという、作者の気持ちの表れか?と個人的に思っている。ただ残念ながらこの指揮者の演奏は、最終楽章をのぞいてそのような時代背景がまるで感じられない、伝統的な解釈に基づいて演奏されたモーツァルトなのだが…(当たり前か)。

交響曲第5番ホ短調 作品64(

第一楽章 暗く、物悲しいクラリネットの音色に導かれて登場する第一楽章のリズムは力強く、劇的である。第一主題終盤の弦楽器の響きは、作曲者の慟哭のように感じる。第二主題冒頭のワルツは、幸薄かったこれまでの人生の中で、必死になって愉しかった時代を思い出しているのだろう。金管楽器の響きは、人生の再出発を決意させる響きに満ちている。展開部にはいると、指揮者は盛んに指揮台のうえで踊り始めてオーケストラを盛んに煽りはじめる。その動きに必死について行こうとするオーケストラの様子が何ともほほえましい。第一主題の再現部は木管群の優しい響きが心地よく、第二主題再現部の弦楽器の響きは艶やかで美しく、ロマンに富んでいる。指揮者はコーダで再びオーケストラを煽り、そのまま静かに曲を閉じる。この強弱の変化をつけた解釈をどう評価するか?
第二楽章 ホルンの美しい調べで始まる第一主題冒頭の美しさは、こちらの方が上かなと思っていたら痛いミスが出てしまった。第二主題は弦楽器によって豊かに歌われ、ロマンの香りを漂わせてくれる。クラリネットに導かれて始まる展開部は、チェロがこれ以上ない情感をこめる。その節回しは、名歌手によるアリアを聴いているような雰囲気が漂う。ティンパニの音色で始まる「運命主題」のあとの弦楽器の響きは分厚い。指揮者の表情は愉悦感に満ち、オーケストラもそれにあわせてドラマティックに旋律をうたう。金管楽器が細かいパッセージを見事に演奏すると、再び登場する第二主題再現部はこの上なくロマンティックで優美に満ちている。そしてクラリネットの弱音に導かれ、消え入るように曲を閉じるのである。
第三楽章 ソヒエフはこの楽章で、晦渋に満ちた響きを表現していたが、ブロムシュテットは晦渋だけではなく、この楽章から明るさ、軽さに満ちた表現と、透明感広がる音色を引き出している。第一主題再現部の弦楽器の響き、フルートの音色は素敵である。終盤の強弱の明確さはソヒエフ以上という印象である。
第四楽章 運命動機に基づく序奏は力強く、力強いトゥッティで始まる第一主題は、ロシア的な土俗的なものを感じる。第二主題はテンポが速く設定されているが、弦楽器は軽々とこれを乗り越えていく。全休符を挟んで演奏される、コーダにおける勝利の響きは力強いが、以前聞いたソヒエフの方が個性的で面白いと思ったのは私だけだろうか?いろんな意味で王道的な解釈のブロムシュテットだが、予定調和過ぎてあまり面白くなかった。第4番であれだけすごい演奏を聴かせてくれたのに、今日の演奏はちっとも感動的にならなかったのは、曲に対する指揮者の共感度の低さに起因するのか、それともソヒエフの解釈が私には合っていたからか?

コンサート・プラス プログラム

作品46(

1.朝
2.オーセの死
3.アニトラの踊り
4.山の王の宮殿で

ヘルベルト・ブロムシュテット(指揮)
NHK交響楽団
1990年4月6日 NHKホール

コンサート・プラスは1990年のペール・ギュント組曲第1番。冒頭のオーボエの音色が明るいように聞えたのは、この時代の日本が俗に言う「バブル景気」の時代に酔いしれ、幸せな雰囲気が漂っていたことと無縁ではあるまい、華やかさのかけらもなく、ただただ指揮者のいうままに、まじめに引くことしか取り柄のなかった当時のN響の中にあって、茂木さんの音色はひときわ目立っていた。ホルンには、いまは亡き千葉馨さんがデンと鎮座し、徳永兄弟がコンマスとチェロ主席という時代。オーセの死は最初のフレーズがピアノ、次がメゾピアノになり、三番目のフレーズになっていきなりメゾフォルテという解釈。強弱のメリハリを思い切り広くとり、物語の悲劇性を際立たせている。そして曲の進行とともに、音がだんだん弱くなっていくのは、オーセの呼吸が弱くなっていく様子を表現したのだろう。「アニトラの踊り」でも、出てくるのは弦楽器で管楽器はお休み。華やかな踊りの陰で、忍び寄る暗い影。ブロムシュテットが、指揮台で踊るような仕草をするのはこの頃からだったのか。今日の演奏に比べれば、この日の演奏の弦楽器はよく歌っているという感じ。最後の「山の上の宮殿で」ファゴット、金管、弦楽器によっておなじみのフレーズが繰り返され、曲の進行とともにテンポが速くなり、音も高くなり、ティンパニの強打で曲が閉じられる。

 

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