「N響1787回定期演奏会」

N響の第1787回定期演奏会の指揮台に立ったのは、御年87歳のスウェーデンの指揮者であるヘルベルト・ブロムシュテットである。楽壇にデビューしたのが1954年だから、そのキャリアは2014年で60年を超える。さすがに齡90近くになると、どことなく背筋も丸くなったように感じられるが、彼のタクトからうまれる響きは円熟味を感じられる。

(指揮)

2014年9月10日 サントリーホール

NHK交響楽団第1787回定期演奏会 プログラム

交響曲第39番変ホ長調 K.543(

第一楽章の序奏は、厳粛さと軽やかさが高い次元で融合している。しなやかかつ艶やかな音色を奏でる弦楽器群が、楽しげに第一主題をうたう。低弦群は力強さがあり、フルートの音色も心地よいが、打楽器の音にもう少し迫力が欲しい。彼のテンポで演奏される第二主題で踊るカップルがいたら、他の参加者の視線は一斉に彼らに注がれるだろう。それほど見事な演奏であり、フィナーレは堂々とした雰囲気を持つ。
第二楽章 弦楽器だけで奏でられる第一主題は、優美さと力強さの見事な調和が見られる。木管に導かれて登場する第二主題は、これまでたまっていた恋愛感情が一気に爆発するといった風情。展開部の盛り上がりは、まるで男女の営みのようだ。そこで細かく動く音が、ベッドの中で行われる貴公子と令嬢の間で行われる、愛の営みを表現したものだと感じるのは私だけか?男性が情熱のままに女性の中で激しく動き、彼が繰り出す愛情を感じた女性は、ベッドの上ではしたない声を上げる。昼間のすまし顔からはわからない、もう一つの表情。そのあとの響きは、情熱的な交わりのあとの後戯、女性に優しく微笑みかける男性、それににっこり笑う女性の姿を想像してしまう。
第三楽章 三部形式のメヌエット楽章。木管が奏でる主旋律の陰で、弦楽器群はせわしなく動き回る。序盤の響きは、戦いに勝利した英雄のご帰還とも、女性の心をわしづかみにした、貴公子の雄叫びのようにも聞こえる。諸君、私は夕べ彼女の心を掴むことに成功した。だから私と姫のためにお祝いして欲しいと宣言する貴公子。このあとの細かな弦楽器の動きは、男と女の宴を開く準備なのか?
第四楽章 いよいよ始まった宴。鳴り響く音は、宴に招かれた乾杯の音と歓談の様子か?木管の奏でる音は、女性たちが繰り広げる、かまびすしい噂の数々かもしれない。最後の響きは、貴公子と姫の幸せを祈り、そして今日の宴席に来てくれた父親のお礼の挨拶なのかな。とても87歳の老人とは思えないスピードとパワー、そして響きが醸し出す迫力に感謝。最後のファンファーレと木管の響きは、二人の門出を祝って、このへんでお開きにしましょうという雰囲気。そして二人は宴の後、ベッドの上で思い切り愛を確かめ合うのでした。めでたしめでたし。

作品36(

1877年ヴェネツィアを訪問したチャイコフスキーは、現地のホテルに二週間ほど滞在しこの曲を書き上げた。彼が当時滞在したホテルには、そのことを記録した碑文が掲げられている。彼はこの時期から、未亡人であるフォン・メック夫人から金銭的援助を受けるようになる。チャイコフスキーは彼女の支援のおかげで生活が安定し、作曲活動に専念できるようになった。本作品は1878年2月、ニコライ・ルビンシュテルンの指揮によりサンクトペテルブルクで初演され、メック夫人に献呈された。

第一楽章 金管楽器の威厳と苦悩と力強さに満ちた響きで始まる…はずなのだが、演奏者の力不足もあってどうにも響きが薄っぺらく、中途半端に感じるのは私だけかな?第一主題の弦楽器群の響きは、優雅で厳粛に満ち、指揮者がリハーサルで求めていた負の感情をうまく表現している。木管とバスクラリネットに導かれて第二主題に登場する弦楽器は、少しでも前向きな材料を探して奮闘する作曲者にダブって見える。かすかに聞こえるティンパニの響きは、チャイコフスキーの心臓の鼓動を表現したものか?努めて明るく振る舞う木管群と、鬱な雰囲気のままの弦楽器の対比が何とも面白い展開部の弦楽器の響きは、もうこれ以上くらい響きになると鬱になりそうだからやめてくれというレベル。激しい嵐のあと静かににやってくる穏やかな再現部では、ファゴットをはじめとする木管群の音色がいい味を出している。ホルンの音色と表現は、一歩間違えれば「我が道を行く」と思われる部分もあるが、うまく調和している。そして一気に盛り上がる終結部。指揮者の動きは「指揮」ではなく、もはや「ダンス」。その動きに必死になって答えようとするオーケストラ。これは指揮者とオーケストラの間に信頼関係がないと出来ないことである。
第二楽章 オーボエによって導かれる主要主題が何とも物悲しく、その後に続く弦楽器群の歌も悲哀に満ちている。テンシュテットは思いの丈を身振り手振りで示しながら、哀愁と晦渋に満ちた響きを作り出していく。この部分の楽想を、当時のロシア人は「ドイツ的だ」と批判したらしいが、この楽章は今聞いても、十分にロシア民族伝統の旋律美を巧みに取り入れていると思う。第二部では木管群が元気におしゃべりをはじめ、弦楽器群がこの上なくロマンティックな旋律を奏で、思い出したかのように金管群が叫び声を上げる。第三部での弦楽器の響きは、この上なく物悲しい。フルート伴奏も、どことなく侘しさが漂う。チェロの響きは、この上なく陰鬱である。最後に登場するファゴットの響きは、寄る辺なき道のりを、とぼとぼと歩いて行く男性の姿のようである。
第三楽章 弦楽器が最初から最後まで、ピチカートで演奏される独特な楽章。その世界を打ち破るように木管群が割って入り、一気にヒートアップしていく。金管群の響きはテンポ・音色とも爽快である。そして再び弦楽器のピチカートが登場し、木管群とのやりとりのあと一気に盛り上がり、いつ終わったのか気がつかないほど静かに消えていく。
第四楽章 一瞬の静寂のあとやってくる盛り上がる。勇ましい曲想が続いたあと寂寥感漂う旋律が出てくるが、すぐに行進曲を思わせる勇ましいトゥッティが出てくる。これは長年の生活苦と、結婚生活で受けた痛手から解放されたことで心身とも前向きな状態を取り戻した、チャイコフスキーなりの復活宣言である。トライアングルが打ち鳴らされ、一気にフィナーレになだれ込む。だがここで悲劇が起こる。ブラボーのかけ声が、曲が終わる前に会場から発せられたのである。演奏会を聞いていたネット民からは、当然のことながら反発の声が起きたが、テンシュテットはこれに動揺することなく、見事に曲をまとめて見せた。齢87歳の老人とは思えない演奏に、会場内が総立ちになったのは言うまでもない。指揮者も満足がいく演奏だったのだろう、何回も拳を展にあげて「やったぞ!」と感情を露わにしたのだった。

コンサート・プラスは、先月急逝した古楽演奏のパイオニアであるホグウッドを偲び、2009年に演奏されたストラヴィンスキーの組曲「プルチネルラ」が放映された。
ホグウッドはケンブリッジ大学で古典学を専攻した後、奨学金を得てチェコ・プラハ大学で音楽を専攻。現地ではレオンハルトらからチェンバロの演奏を学んだ。
1967年、デイヴィッド・マンロウらと「ロンドン古楽コンソート」を結成し、チェンバロ奏者として楽壇にデビュー。そのかたわらネヴィル・マリナー率いるアカデミー室内管弦楽団のチェンバロ奏者としても活動し、同楽壇のため楽譜の校訂・編集作業を行う。
1973年、古楽演奏の管弦楽団であるエンシェント室内管弦楽団(以下AAM)を結成。オリジナル奏法による古楽器演奏で、バロック及び古典派の作品を演奏する一方、近代・現代の作品も自身の演奏会で積極的に取り上げてきた。彼がAAMを指揮して録音したモーツァルトの交響曲全集では、著名な音楽学者にしてモーツァルト研究の第一人者であるニール・ザスローの協力を得て、楽器編成や奏法を初演当時のやり方で再現した。彼自身有名な音楽学者であり、学者としても数多くの著作・論文を発表している。
ブリュッヘンアーノンクールらとともに1980年代から発生した「古楽演奏」の認知度を高めた立役者であるが、現代音楽やオペラの演奏経験にも実績を残した。また王立音楽アカデミーやケンブリッジ大学で教鞭を執り、後進の育成にも尽力した。

コンサート・プラス プログラム

(指揮)
ヤーノシュ・セメルチ(ゲスト・コンサートマスター)
NHK交響楽団
2009年9月25日 NHKホール

これまでイタリア音楽を題材にした作品を上演してきたバレエ演出家にしてバレエ・リュス主宰者セルゲイ・ディアギレフは、次回作としてベルゴレージの音楽に基づく作品を構成していた。18世紀の即興劇の台本に興味を持ったバレエ・リュス振り付け師レオニード・マシーンは、その動きをバレエに応用しようと考えた。イタリアの音楽学校にあるベルゴレージの手稿・印刷譜を見つけた二人はその中から18曲を選出し、ストラヴィンスキーにそれらの曲を「ハープを含む大管弦楽曲」バレエ音楽に編曲するよう依頼する。
だが彼は依頼主の意向を無視し、原曲の素材を踏まえつつリズム・和声を現代風にアレンジした作品にしただけでなく、編成も打楽器・クラリネットも含まない合奏協奏曲風の作品に仕上げた。依頼主ディアギレフはこの改変に驚愕したが、最終的にこの作品を了承した。これに伴い振付も、音楽に合わせたものに変更された。
初演は1920年5月にアンセルメ指揮バレエ・リュスの公演で初演された。衣装舞台セットのデザインはパブロ・ピカソ、台本と振付をマシーンが担当した。
なお本作は、1965年に改訂されている。今回演奏されるのは、10曲で構成される組曲版である。

序曲

上品なバロック要素を持つ曲であり、ソリストの腕はかなり立つと思われるが、それが全体の演奏につながっていないところが何とも歯がゆい。

セレナーデ

オーボエ独奏は、何とももの悲しさが漂う。この日のコンサートマスターであるセメルチの節回しは、とても味付けが濃い。ただ若干、音程が不安定に聞こえる部分が散見されたのは残念。

スケルチーノ

セレナーデから、切れ目なく演奏される曲。弦楽器群は健闘していると思うが、金管群が不調でアインザッツが不揃いなのは実にもったいない。

アレグロ

ソロ・フルートに導かれる曲だが、肝心のフルートのパッセージが不安定。その不調をみんなでカバーしようとして、かえってアンサンブルがおかしくなってしまった感じがある。

アンダンディーノ

ファゴットに導かれて始まり、ソロ・ヴァイオリンが大活躍する曲である。

タランテラ

舞曲のようなリズム捌きが特徴だが、この演奏では楽器編成が少ないため、響きが薄っぺらに聞こえてしまうのは致し方がないか。

トッカータ

ただせわしないだけで、ちっともそれっぽく聞こえない。

ガヴォット

木管・金管楽器のやりとりとアンサンブルを楽しむべき佳品。ファゴットとフルートの可憐さ、オーボエの木訥さ、ホルンの勇壮さが何ともいえない雰囲気を醸しだし、その上をせわしなくトロンボーンが動き回っている。

ヴィーヴォ

トロンボーンが序盤の演奏を引っ張る。だがアンサンブルがどうにもいただけないのはどういうわけか。

メヌエット

この曲もトロンボーンがアンサンブルを引っ張る。だがメヌエットぽく聞こえないのはどうしたわけだろう?最後はトランペットが元気よくアンサンブルを締めくくるのだった。

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