「クライバーの『ばらの騎士』1994」

』はカルロス・クライバーの初来日と最後の来日を飾る、日本の音楽ファンにとっても特別な演目。この番組はウィーン国立歌劇場に9年ぶりに登場したクライバー伝説の公演。オットー・シェンクのオーソドックスな演出、、バーバラ・ボ ニー、クルト・モルといった見た目もぴったりな豪華キャスト、ウィーン・フィルの美しいオーケストラ、そして随所に映し出されるクライバーの魔法のような指揮。彼の指揮姿と音楽作りが堪能できる、まさにクライバーのオペラを象徴する、最も理想的な『ばらの騎士』映像。
R・シュトラウスと劇作家ホーフマンスタールの最高傑作『ばらの騎士』は、マリア・テレジア治世下のウィーンを舞台に、元帥夫人と若い愛人オクタヴィアン、若い娘ゾフィーの三角関係の愛と別れを描き、わかりやすい音楽とコメディタッチのストーリーで、初演から人気を博してきた作品。因みにばらの騎士とは、ウィーンの貴族が婚約の申込みの儀式に際し、婚約の印として銀のばらを届ける使者のこと。第1幕フィナーレの元帥夫人のモノローグ、第2幕の銀のばらを持ったオクタヴィアン登場シーン など見どころ満載だが、あらゆるオペラの中でも最高の名場面と謳われる終幕の三重唱は特に必見だ。[ストーリー]陸軍元帥夫人マリー・テレーズは若い恋人オクタヴィアン伯爵との逢引で夫婦生活の虚しさを紛らわしている。従弟オックス男爵と新興貴族ファーニナルの娘ゾフィーの婚約を聞いた元帥夫人は、慣習として許嫁に銀のばらを届ける騎士にオクタヴィアンを推薦。オクタヴィアンとゾフィーは一目で恋に落ちる。粗野なオックス男爵との結婚を後悔するゾフィー。オクタヴィアンは男爵を懲らしめようと一計を案じるが・・・。
(クラシカ・ジャパン紹介ページより)
出演者
フェリシティ・ロット(元帥夫人/ソプラノ)
アンネ・ソフィー・フォン・オッター(オクタヴィアン/メゾ・ソプラノ)
(ゾフィー/ソプラノ)
(オックス男爵/バス)
ゴットフリート・ホーニク(ファーニナル/バリトン)
オリヴェラ・ミリャコヴィチ(マリアンネ/ソプラノ)
ハインツ・ツェドニク(ヴァルツァッキ/テノール)
アンナ・ゴンダ(アンニーナ/メゾ・ソプラノ)
キース・イカイア=パーディ(歌手/テノール)
ヴァルデマール・クメント(元帥夫人の執事/テノール)
ペーター・ヴィンベルガー(警部/バリトン)
フランツ・カーゼマン(ファーニナル家の執事/テノール)
ヴォルフガング・バンクル(公証人/バス)
ペーター・ イェロジッツ(料理屋の主人/テノール)スタッフ
台本 フーゴ・ フォン・
演出 オットー・シェンク
装置 ルドルフ・ハインリヒ
衣装 エルニ・クニーペルト
指揮
演奏 ウィーン国立歌劇場管弦楽団及び同合唱団、オーストリア連邦劇場舞台オーケストラ(指揮:ラルフ・ホスフェルト)
合唱指揮 ディートリヒ・D・ゲルファ イデ
録画:1994年3月 ウィーン国立歌劇場

作品について

R.シュトラウスが、ホーフマンスタールとコンビを組んだ最初のオペラで、1909~10年にかけて作曲された作品である。ホーフマンスタールは当初、このオペラを軽い喜歌劇的作品として計画していた。しかし作曲者と手紙で創作について活発な意見交換を展開した結果、現在演奏される形として発表した。
タイトルの「ばらの騎士」とは、ウィーンの貴族が、婚約の儀式に先立ち、先方に送る使者が銀のバラを届けるという風習に由来している。ただしこの風習はホーフマンスタールの創作で、現実に存在した風習ではない。
激しいオーケストレーション、前衛的な和声をふんだんに用いた「サロメ」「エレクトラ」から作風を一変させ、声楽パートもリリックなスタイルを導入した。だが作曲者がイタリアオペラを嫌っていたからこともあり、声楽パートの大部分が重唱でアリアがなく、テノールも第1幕で揶揄的に出るのみである。舞台設定も、ロココ文化が漂うマリア・テレジア時代のハプスブルク朝オーストリアの首都ウィーンにするなど、モーツァルトを意識した作品に仕立てた。
演奏時間が3時間半近くになるため、録音及び録画・上演では、しばしば慣習的なカットが施されるが、これらのカットは作者も認めているものである。初演にあたり入念なリハーサルが繰り返され、1911年1月26日にドレスデン宮廷歌劇場において、エルンスト・フォン・シェーフ指揮、ゲオルグ・トラー&マックス・ラインハルト演出で上演され、未曾有の大成功を収めた。評論家からは「時代遅れで大衆迎合的だ」と批判されたが、聴衆からは絶大な支持を受けたことから、現代ではR.シュトラウスの代表作として認知されている。演奏時間が長く歌手への要求項目も多いために、水準の高い公演が難しい作品である。しかしドイツ圏の主要歌劇場や音楽祭において最も重要なレパートリーと認知されていることから、名演も数多く残されている。

クライバーについて

本公演の指揮者であるカルロス・クライバーは、生前多くの評論家から「天才」と言われた。しかし彼は、他の指揮者と違いオーケストラの常任指揮者・音楽監督といったポストには就任しなかった。その理由は彼が完璧主義者で、一度引き受けた仕事でも、納得がいかないと途中で放り投げることも少なくなかったからだ。このため遺された録画・録音は少なく、実際に録画・録音された演奏で彼が発売を認めなかった録音は、この数倍はあるのではないか。市場には彼が演奏した曲の海賊版が多数流通しており、あるファンがクライバーにサインをねだったとき、持参したCDが海賊版だったため、クライバーは複雑な表情をしながらサインをしたという、笑うに笑えないエピソードが残っている。これはコンサートの舞台でも同様で、公演直前まで観客は、彼がキャンセルしませんようにと祈ることもしばしばだった。「帝王」カラヤンは、彼について
「冷蔵庫が空っぽにならない限り、彼は指揮台に立たないよ」
と語っていたそうだが、さもありなんと思う。
彼がそのような性格になったのは、父親の存在が大きいといわれている。彼の父親は、20世紀前半のクラシック音楽界にその名を轟かしたドイツの大指揮者エーリヒ・クライバーである。しかし父親は、息子が自分と同じ指揮者になることを望まなかった。そのため息子は当初、工学部で化学工学を専攻していた。しかし息子は音楽への情熱を止めることができず、父と同じ道を歩むことを決意する。だが彼は偉大な父と比較されるのを嫌い、デビュー当初は「クライバー」ではなく、別の名前を名乗っていた。指揮者デビューに反対していた父親も、影で息子の活動を応援していたといわれている。しかし息子は父の存在にプレッシャーを感じていたようだ。彼が完璧主義者になったのは、父の幻影にどこかで怯えていたのかも知れない。
そんな彼も、1980年代末期~1990年代前半は、(彼にしては)頻繁に舞台に登場し、世界中のクラシックファンを狂喜させた。1989年と1992年の指揮を担当したウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートの模様がCD&DVDに収録され、今もなお現役版として残っているのは、ファンのみならずクラシック愛好家からしてみれば「財産」と言ってよく、実際に彼のコンサートを生で耳にしたいことのある人は、それだけで周囲に自慢する資格があるだろう、とあえて断言する。残念だったのは、1992年に予定されていた来日公演が本人の急病によりキャンセルになったことと、1994年にウィーン・フィルとの演奏でライブ録音の形で発売が予定されていたR.シュトラウス「英雄の生涯」(レーベルはソニー・クラシカル)が、本人が自分の演奏に納得がいかないという理由で中止になってしまったことである。「英雄の生涯」の録音が発売中止になったことで、彼の最後の録音は、1992年のニュー・イヤー・コンサートのライブ録音になってしまった。
だが彼が「得意中の得意」としていたこの作品が、CD録音されなかったとはいえ、DVDという形で世界中のファンの財産として残ったのは、本当に幸運である。あの宇野功芳が
「もしレコードが発売されたら、真っ先に飛びつく」
と書いているから、さぞかし素晴らしいものだろうと期待したのである。

たわいのない感想〜苦い思い出〜

実は私自身、この演目には苦い思い出がある。1994年に来日したとき、彼はこの作品を東京で上演した。その模様はNHKでも放映され、私も録画した…はずだった。ところがここで誤算が生じた。この演奏が中継された時期は、高校野球の真っ最中。この日の最終試合の中継が長引き、試合はNHKの総合から教育テレビ(現:Eテレ)に切り替わったために、このオペラの放送時間が30分繰り下がった。20年以上前に「ビデオデッキ」と名乗っていたレコーダーには、時間が繰り下がっても番組の頭から録画するという、気の利いた機能は存在しなかった。そのためビデオテープの冒頭30分には、高校野球の試合がしっかり録画されていた。テープに録画できる時間は最大3時間。だから、このオペラの一番の見所は録画されていなかったのだ。それを知った日は一日中気分が落ち込んでいたのを思い出す。楽しみにしていた指揮者の演奏だったからなおさらだった。それだけに、クラシカ・ジャパンでこの演奏をやると知り、早速レコーダーに録音したのはいうまでもない。これから書くのは、その感想である。
演奏の冒頭はアインザッツが揃わず、およそ天下のウィーン国立歌劇場管弦楽団とは思えない響き。この演奏のどこが名演?みんな「カルロス・クライバー」という名前のブランドにだまされているんじゃないの?と嫌みを言わずにいられなかった。だが曲がすすむにつれ、響きの質がだんだん変わっていくのがわかった。歴戦の強者が集う彼らといえども、緊張してしまうときがあるのかと感心してしまう。おそらく彼らは「クライバーがいるから、無様な失敗はできない」と思ったのだろうか…と思ってぐぐっていたら、こちらのサイトに事の真相を記した記事が記載されていたので、とりあえずさわりだけご紹介。
案の定、ウィーンでも
「クライバーは、この公演をキャンセルするんではないか?」
と危惧されていたという。しかしそれでもファンの期待は高く、立ち見席を入手するために徹夜で並ぶ人が大勢いた。日本からも大勢のファンが殺到し、切符は正規の10倍以上の値段で取引されるなど、歌劇場前はさながらアイドルのコンサート状態。このフィーバーぶりに当のクライバーも怖じ気づいたのか、挨拶もそこそこにオーケストラに振り向いて演奏をはじめたからさあ大変。冒頭の「らしくない」響きは、オーケストラの団員がびっくりした結果だったのである。さらにこの動揺は歌手陣にも伝染したそうで、初日の演奏についてはメディアから
「クライバーは失敗か?」
と書き立てられるほどの散々な出来。だがここで終わらないのがクライバーで、次の演奏では見事な演奏を披露したそうだ。最近のライブ録画は、数日間の演奏をつなぎ合わせる操舵だから、第一幕は初日、第二幕・第三幕の演奏は2日目以降の演奏で構成したのだろう。第一幕と第二幕・第三幕の演奏では、心なしか響きの質が違っていたのはそのためかも知れない。
出演している歌手も、当代きっての「ばらの騎士」役者と言っていいだろう。
フォン・オッターの凜々しいオクタヴィアン。
ボニーの、どことなく儚げながらも凜とした雰囲気を湛えたゾフィー。
粗野で憎たらしい表情をこれでもかとばかりに、聴衆に印象づけるモルのオックス男爵。
そして、忍び寄る「老い」の影に苦しみ、いつかやってくるであろう若い情夫との別れに怯えつつも「伯爵夫人」としての矜持を保とうとするロットの元帥夫人。
そのほかの配役も素晴らしいメンバーで、これ以上の歌手は今後そろえられないのではないか?と思うほどの充実ぶりである。日本公演もほぼ同じメンバーで行われたが、実際に来日公演でこの演奏を聴くことができた人にとっては、最高の耳の財産といっても過言ではない。うらやましい限りである。

物語について

さてさて、このオペラを見ていて思ったのは
「年の離れた恋愛は難しい」
ということである。物語の設定とはいえ、オクタヴィアンの17歳に対し伯爵夫人は32歳。これ、現代の感覚でいったら「不倫」で「姦通罪」。おまけに夫人側から見たら「淫行罪」に「逆援助交際」という、ロココ時代を舞台設定にしているとはいえ何ともムチャクチャな男女関係。30代の貴族階級に属する婦人が、同じく貴族とはいえ10代の少年と愛人関係を結ぶことは、実際にあったのだろうか?現代でこんなことをやったらメディアの好餌になり、何もかも失うことは確実である。
さらにいえば、「ロココ文化」を生み出したフランスならびにこのオペラの舞台であるオーストリアは、皆様ご存じの通りカトリック系キリスト教徒が主流派の国。カトリック系は「汝、姦淫する事勿れ」と教えているはずなのに、貴族階級は率先して姦淫の世界にふけっている。これでは、プロテスタント派であるピューリタン(清教徒)が「性」という概念を忌み嫌うのも無理はない。
30歳代の、恋愛経験豊富な「大人の女性」に性の歓びを教え込まれ、快楽の世界にふけっている少年も、時が経つにつれてその存在を疎ましく思い、同じ世代の恋人をほしがるのも当然だろう。伯爵夫人もそのことは重々承知で彼と会う度に快楽の世界に引き込み、彼の若い肉体を貪る。しかし時が経てば彼が自分から離れてしまうということは理解しており、そして自らの容貌の衰え(まだ30代なのに!)を気にしている。案の定、オクタヴィアンと別れる決意をした伯爵夫人の歌唱は、若い恋人に去られた中年女性の心境を、ありのままに表現しているのではないか。いくらどんなに若く見える化粧をしても、服装センスを磨いても、ベッドの上で男を歓ばせるテクニックを駆使しても、年齢には勝てないのだ。あんなに若い男に尽くしたのに、あなたは若い子を選んでしまうのね。わかっていたことだけども、やっぱり悔しいという表情を浮かべながら歌う伯爵夫人の心持ちを実感できる人も多いに違いない。
だが、彼女はよくできた人間だと思う。普通だったら若い愛人が、同世代の女に恋心を抱けば、嫉妬でどうにかなってしまうのが当たり前。相手の若い女を面罵したり、若いツバメの行動をストーカーするのはまだかわいい方。事態が悪化すれば彼を自分の屋敷に閉じ込め、それでも気が済まず相手を殺し、あるいはかつての恋人の目の前で自殺する展開もあり得る。だが彼女がそのような選択をしなかったのは、ひとえにオクタヴィアンに迷惑をかけたくないという気持ちからである。夫人はオクタヴィアンの成長を認めるとともに、これ以上彼のそばにいても、お互いのためにならないことを理解したのだろう。まことに潔い態度だが、現実世界でこのような態度をとれる人は少ない。
オックス男爵とファーニナルは、人間の持つ「欲望」を、これでもかとばかりにむき出しにする。男爵は若い娘を弄び、己の快楽の世界にどっぷりとふけることにしか興味がない。彼女(たち)がどんなに悲しもうと、召使いたちが彼に嫌悪感を持っていようとお構いなし。男爵にとってこの世の女性は「いつまでも取り替えられる部品」にすぎず、必要最低限の教養も品性も礼儀もわきまえていない、最低最悪の人間性の持ち主である。
ファーニナルも、人間性という点ではオックス伯爵とどっこいどっこいである。商売で成功し金持ちになったが、世間から「成り上がり者」というレッテルを貼られたため、娘を貴族に嫁がせることで家格をあげることを考える。金持ちになったから教養を身につけようという考えは、この父親からは窺えない。第三幕におけるオクタヴィアンの奸計のおかげで、自分が考えていたことがいかに愚かだったかを理解するだけの知性はあるようだが、もしそれがなかったら、彼はこの結婚に消極的な娘の気持ちを理解しない鬼のような親であると、観客に思われることになっただろう。
物語では強欲な男爵が身を滅ぼし、一連の騒動を見ていた観衆は「いい気味だ」と溜飲を下げる。だが現実世界では、かような結果になることはさほど多くない。男爵のような強欲な人間が富を独占し、ファーニナルのようなものが、彼らとお近づきとなり、家格を上げたり商売の規模を広げようという野心を抱いている。「利権」という意味においては、男爵のような人間と、ファーニナルのような人間とのつながりは強固だ。聴衆は内心でオクタヴィアンの奸計に喝采を送りながらも、内心ではこのようにはいかないのだという諦めの気持ちを抱いている。
そして、この物語の最大の勝利者はオクタヴィアンである。彼と伯爵夫人がどこで知り合い、男女の仲になったきっかけは物語中で紹介されないため、これらのことはこちら側で想像するしかない。しかし15という年齢差は本人も承知しているだろうから、それなりの野心があったのであろう。ひょっとしたら、彼自身もこのようなただれた生活を送るのは、将来のためにはよくないと思いつつも、夫人の手練手管から逃れなくなっていた。
それを打ち破ったのは、ゾフィーとの出会いである。最初は彼女の境遇に同情するだけだったが、いつしか彼女に恋心を抱くようになる。おそらく彼女も、最初オクタヴィアンには何の感情を抱いていなかったが、あの下卑たオックス男爵に生理的嫌悪感を抱き、同時に爵位ほしさに、この縁談を進める父親に憤怒の気持ちを抱く中で、自然と彼に好意を抱くようになる。そして二人は結ばれるのだが、奸計の現場にやってきた伯爵夫人を見たオクタヴィアンは、ありありと困惑の色を浮かべる。もちろん、それは伯爵夫人との関係を清算するか否かについて。貴族社会といえば、社交界でのつきあいが必須。作中で触れられていないが、そこでの地位を上げるためには、オクタヴィアンは伯爵夫人の力を借りてきた。その彼女との別れは、下手をすれば社交界から追放される可能性もある「危険な賭け」。このケースでは夫人が身を退いたから「めでたしめでたし」になったが、彼女の本心はどうなのだろうか。口では若いツバメの旅立ちを認めつつも、彼が二度と社交界に戻れないように、あれこれと謀略を巡らせる可能性もあるのだ。オクタヴィアンには、それだけの覚悟があってソフィーを選んだのかな?と、こちらは乳母心ながら心配してしまうのである。
とりあえずはハッピーエンドで終わるこの物語だが、この中で繰り広げられる恋愛は立派な「格差恋愛」。オクタヴィアンとソフィーの恋愛が成就する可能性は、18世紀ロココ時代ではまずありえなかっただろう。「愛している」だけでは腹は膨らまない。膨らむのは別の腹だ。あなたはこの舞台を見ながら、どんな結末を想像しますか?

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