「ムターのブラームス『ヴァイオリン・ソナタ全集』」

幼少期にカラヤンにその才能を見出され、「ヴァイオリンの女王」の名を欲しいままにしてきたアンネ=ゾフィー・ムターによるブラームスのヴァイオリン・ソ ナタ全3曲。ブラームスのソナタは、ムターが音楽家として歩み始めた初期の時代から現在に至るまで、彼女にとって常にレパートリーの中心となってきたもの。近年ムターが日本を含む世界各地で開いているブラームスのリサイタルは、聴衆を感動の渦に包んできた。
ブラームスのヴァイオリン・ソナタ全曲映像としては初となる記念すべき番組。20年以上パートナーとして組んできたピアニスト、ランバート・オーキスとの円熟のアンサンブルも必見。

(ヴァイオリン)
(ピアノ)
2009年12月3日&4日 ビブリオテークザール
(ポリング、バイエルン州オーバーバイエルン行政管区ヴァイルハイム=ショーンガウ郡)
(以上 クラシカ・ジャパン紹介記事)

アンネ=ゾフィー・ムターについては、今さらここではいうまい。最初はピアノを学んでいたが、すぐにヴァイオリンに転向しヘンリク・シェリングに師事。早くからコンクールでの受賞歴を重ねたことで、学校教育を免除された。13才でカラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニーと共演し、天才少女の名前を知らしめるきっかけになる。1977年、14才でザルツブルク音楽祭において、ダニエル・バレンボイムと共演。翌1978年、カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニーとモーツァルトの協奏曲を録音してレコードデビュー。以後録音及びリサイタル活動を活発に展開している。
私は彼女の演奏を聴いたことがある。場所は1990年サントリーホール、演目はブラームスの協奏曲だった。インターネットがない時代、お目当てのコンサートを探すには専門雑誌か、新聞に掲載される広告が頼みの綱だった。たまたま見ていた音楽雑誌でブーニンが来日コンサートをすることを知った私は、母から代金をもらって、直接会場に切符を買いに行った。ところが、当時はブーニンといえば日本でもチケットが入手困難だった時代。チケット売り場についたときは、彼の切符はすべて売り切れていた。ガッカリして他のコンサートの広告を見ていたら、たまたま目に入ったのがムターのコンサートの広告だった。一番の上席は売り切れていたが、2番目の席はまだ残っていたので、ブーニンのチケットは彼女のそれに化けた。
生まれて初めてのコンサート体験。それはそれは素晴らしいものだった。斜めとはいえ、正面に近い席だったので、彼女の演奏中の表情を窺うことはできた。もっとも20年以上前の体験なので、その時どんな表情だったのか、どんな音色を使い、どんな表現をしていたのか、すっかり忘れてしまったが。個人的には素敵な演奏だと思っていたが、私が当時愛読していた音楽雑誌の評価は、あまり芳しいものではなかった。その評論を書いたのは、斯界では「辛口」と目されている人だったのだが。そのイメージがあったので、この演奏ではもっと円熟した表現と音色を聴かせてくれると思っていたのだが…。

ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調 作品100

ヴァイオリン・ソナタ第1番の完成から7年後の1886年夏、当時過ごしていた避暑地のトゥーン湖畔(スイス)で書かれた作品である。この時期のブラームスは多くの友人と親交を結んでいた。そのことが精神面での充実につながったのか、創作力も旺盛だった。この時期にはピアノ三重奏曲第3番、チェロ・ソナタ第2番も作曲されている。
初演は1886年12月にウィーンにて、ヨーゼフ・ヘルメスベルガーのヴァイオリン、ブラームス自身のピアノで行われた。
第一楽章は冒頭から音が荒れている印象を与える。ムターだからと期待していたのだが、ちょっとガッカリ。それでも第二主題になると、ちょっと持ち直して情熱的な演奏を聴かせてくれる。展開部のヴァイオリンの叫びは、思うに任せない恋の行方を悲観した青年の心情か。人生の悩み苦しみをぶちまけるヴァイオリンを、優しく受け止め慰めるピアノ。曲の後半では、テンポを自由自在に変えながら独自の世界を作っていく。
第二楽章 のびのびと歌う主部、弾むようなリズム捌きを見せる中間部と、曲想を明確に描きわけている。だが、この演奏ではまだ不調を脱し切れていないようだ。ムターって、この程度のヴァイオリニストだったっけ?本人としては歌うところは歌い、弾けるところは弾けていると思っているのだが、それが私の心の中に届いてこないのだ。本人もそれがわかっているのか、強はベストの状態じゃなくてごめんなさいと、演奏しながら謝っているようだ。ピアノも、そんなソリストを支えようと必死になっている。デビューしてから40年、もっと円熟した演奏を聴かせてくれると思っていたのだが。
第三楽章 冒頭の音の汚さは相変わらず。ヴァイオリニスト様、どうしましたかと心配そうに話しかけるピアノ、何でもありません、気にしないでくださいとごまかすヴァイオリニスト。調子が悪いのをごまかすかのように、突然ヴァイオリニストはたくましい音を出す。だが音の伸びは今ひとつだ。ピアニストも我慢の限界に達したのか、イライラがピアノに乗り移ったようで、音色にも微妙に暗い影が。これまでの不調を取り戻そうと、ヴァイオリニストも必死になって演奏をまとめようとする。どうですか、お加減はよくなりましたかと問いかけるピアニストに対し、曖昧にごまかそうとするヴァイオリニスト。聴衆も彼女の不調を感じ取っているのだろう。拍手の音も心なしかお義理のような感じられる。

ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調 作品78『雨の歌』

この曲を発表する前に、ブラームスはイ短調のヴァイオリン・ソナタを作曲している。シューマンはこの作品の出版を提案したが、彼は結局その作品を破棄してしまう。
本作は1879年夏、避暑に訪れていたオーストリア南部・ヴェルダー湖畔にあるペルチャハで作曲された。「雨の歌」の通称は、第差くん楽章冒頭の主題が、彼の歌曲「雨の歌」と「余韻」の主題を用いているからだが、作曲者自身はこの曲を「雨の歌」とは呼んでいない。前者はクララ・シューマンが特に好んでおり、ブラームスはこの曲の主題を引用することで、クララへの思慕の念を表現したといわれている。
初演は非公開の演奏では、第一楽章のみブラームスのピアノ、盟友ヨーゼフ・ヨアヒムのヴァイオリンで行われ、公開の場では1879年11月、マリー・ヘックマン=ヘルティのピアノ、ロベルト・ヘックマンのヴァイオリンで初演された。
第一楽章 冒頭から一音一音、丁寧に紡いでいこうという姿勢を感じる。個人的には、こういう演奏は好感が持てる。おそらく、不調だった第2番での不評を挽回しようと思ったのだろう。ピアニストも美しい音色で、ソリストを守りたてようと献身のサポートぶり。活気のある第二主題になると、ヴァイオリンの音も伸びやかになっていく。展開部で聴かせる不気味な音色は、どことなく不安定な作曲者の精神を表したものか?だがこの音色は、ソリストの不安な面持ちを音に託したかのようでもある。解釈はともかく、思うようにいかない演奏に、彼女もおそらくはイライラが募っているのかも知れない。展開部の終盤になっても不安定な状況は変わりそうにない。再現部第二主題になって、ソリストは笑って!ほら笑ってよ!といわんばかりに、自らを奮い立たせるような音色を紡ぐ。この人の弱音は、本来はもっと美しかったはず。強の弱音はどこかぎすぎすしていて、ただ神経質なだけ。それだけに、ピアニストが繰り出す弱音の美しさが耳にこびりついて離れない。この曲は、確かにヴァイオリン・ソナタだったよね?でも今日の演奏では、ヴァイオリンはピアノのおまけになってしまっている。
第二楽章 最初の音からしてかすれ気味になっている。おおアンネ=ゾフィー、あなたはこの程度のヴァイオリニストだったのですか?好不調の波が少ないタイプだと思っていたのですが、今日の演奏は大スランプのようです。中間部の弱音は相変わらずぎすぎすしたまま、これはいったいどういうことですか?表現の主導権も、ずっとピアニストに握られっぱなしです。歌うべき所はしっかり歌っています。音色も逞しいです。でも弱音があまりにも汚すぎです。ピアノが透明な音色で、作曲者の心中を的確に表現しているのに、ヴァイオリニストがピアニストの要求について行けていないところがあります。
第三楽章 ピアノが繰り出す細かい表情に、必死になって食らいつこうとするヴァイオリン。だがところどころで、音程の甘さが気になって仕方がない。ピアニストは悩む。もうヴァイオリニストもことなんか放っておいて、自分の世界にこもってしまおうか、と。だがこれではアンサンブルが崩壊する。ピアノの問いかけに、ヴァイオリニストは必死について行こうとしているのだから。だがピアノが繰り出す弱音の華麗さとは裏腹に、ヴァイオリンの奏でる久遠はあまりにも汚く、世俗的ですらある。あるいはこの二人、はじめからこの路線を狙っていたのではないか?と勘ぐってしまう。終盤のピアノの問いかけ、何とか期待に応えようとするヴァイオリン。それはそれは、見ていて痛々しいほどである。最後の音が、いまの彼女を象徴しているだとしたら、あまりにも悲しすぎる。演奏終了後に二人が見せた笑顔は、どこか凍り付いているように見えた。髪を触る仕草が色っぽいよアンネ=ソフィー。でも私はあなたの色気を楽しみにしたのではなく、あなたが奏でる音楽を聴きたかったのです。

ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調 作品108

ヴァイオリン・ソナタ第2番を完成させた1886年から、足かけ3年という年月をかけ、1888年に作曲された作品である。この時期のブラームスは、人がうらやむほどの生活を送っていた。しかし1887年、友人の音楽学者の訃報を受け取ったのをきっかけに、孤独感に苛まされるようになっていく。このときからブラームスは作品に諦観の感情をこめるようになり、短調の作品を多く書くようになる。この作品も、晩年に見られる重厚で内省的な作品に仕上げられた。
初演は公開に先立ち、第1番の時と同様に非公開で行われたが、その時の演奏者と日時はわかっていない。公開初演は1888年12月21日(一説には22日)、ブラームス自身のピアノ、イェネー・フバイのヴァイオリン演奏で行われた。翌年出版された楽譜は、彼のよき理解者だったハンス・フォン・ビューローに献呈されている。
第一楽章 速めのテンポで、グイグイと引いていくという感じ。第3番になって、ようやく彼女はベスト・フォームを取り戻したように見える。だが二人が醸し出す音楽は、ブラームス本来の響きとは縁遠いように、私の耳には感じてしまう。提示部のヒステリック気味の音色は、ここはこの日多用していた逞しい音色を使った方がよかったのではないか。だがここに来て、私が彼女が意図的に音色を使い分けてきたことに気がついた。この曲が書かれた時、知人の訃報が相次いだブラームスは、精神的に参っていたのだろう。その神経質な彼の気持ちを表現するために、あえて金切り声みたいな音色を多用した。なるほど、だとしたら、彼女はなかなかの巧者だ。
第二楽章 悩ましげな音、やや不安定な面持ち。この曲が書かれた時ブラームスは齢55歳、頭の中には、死の恐怖が徐々にもたげた頃である。浮かんでくるメロディーを五線譜に書き留めながら、彼はこれまでの人生を静かに振り返っていたのだろう。時にパイプをくゆらせ、目を閉じてこれからの人生を考える。彼にはそんな時間が欲しかったのかも知れない。
第三楽章 たくましさとメランコリックさが入り交じった音色で紡がれる世界。漂う暗い情感は、晩年のピアノ小品に繰り返し出てくる主題の一つである。私はまだまだ生きていたい。やりたい仕事が沢山ある。こんなところで死んでたまるか。だが悪魔は彼にささやきかける。人生の終わりは、直ぐそこまで迫っているのですよ、と。
第四楽章 それを振り切るかのような、ヴァイオリンとピアノの音色。冗談じゃない、私はまだまだ死なない!もっともっと傑作を書いて、楽壇から認められたい!そんな情念が思い切りほとばしるかのような演奏。いままでは調子が悪かったかのように採られていたけど、あれはいままで猫をかぶっていたのよ!これから本気を出すのだからといわんばかりの表現を見せるヴァイオリニスト。ピアニストもそれにつられたのか、激しい情念を鍵盤上にたたきつける。最後の音色はもうちょっと強い音色でもよかったのかも知れない。たくましい音を出していたのだから、ここでこその音色を使って欲しかった。

このエントリーをはてなブックマークに追加
はてなブックマーク - 「ムターのブラームス『ヴァイオリン・ソナタ全集』」
Share on Facebook
Bookmark this on Google Bookmarks
LINEで送る
Pocket