サル・プレイエル室内楽コンサート2010年10月@クラシカ・ジャパン

サル・プレイエル室内楽コンサート2010年10月@クラシカ・ジャパン
ピアノ五重奏曲第1番ニ短調Op.89
ピアノ四重奏曲第1番ハ短調Op.15(以上フォーレ)※
ピアノ五重奏曲ヘ短調(

(ピアノ)

ピエール・コロンベ(第一ヴァイオリン)
ガブリエル・ル・マガデュール(第二ヴァイオリン)
ラファエル・メルラン(チェロ)
マチュー・メルツォク(ヴィオラ)

(ヴァイオリン)※
(ヴィオラ)※
(チェロ)※
2010年10月16日サル・プレイエル(パリ)

2010年、パリの名門ホールであるサル・プレイエルで開催された室内楽コンサートの様子を紹介する。

本公演ソリスト紹介

エリック・ル・サージュ 1964年生まれ パリ音楽院修了、マリア・クルシオらに師事。シューマンなどロマン派を得意とするが、室内楽の名手として知られている。
樫本大進 経歴はこちらの記事を参照。
リーズ・ベルトー フランス生まれ。パリ国立高等音楽院でヴィオラを学ぶ。2005年のヒンデミット国際コンクールでヒンデミット賞を受賞。2006年、小澤征爾が主宰する「スイス国際室内楽アカデミー」に、世界の傑出したアーティストの一人として招待される。樫本大進、エマニュエル・パユらの室内楽のパートナーとして知られる。
フランソワ・サルク フランスのチェリスト。イェール大学、パリ国立音楽院でシュタルケル、トルトゥルリエらに師事。現代音楽の名手であり、イザイ四重奏団のメンバーとして5年間活動経験あり。
エベーヌ四重奏団 1999年、フランスにあるブローニュ=ビヤンクール地方音楽院の学生4人により結成された。メンバー全員が、クラシックではなくジャズをやっていたことがユニークである。結成後はイザイ四重奏団らに師事し、2004年のミュンヘン国際音楽コンクールで優勝した。幅広く洗練された音楽性と、楽曲に対し冒険的かつ知的なアプローチを採ることが特徴である。長らく結成時の4人で演奏活動をしていたが、ヴィオラ担当のメルツォクが2014年「指揮活動に挑戦したい」という理由で脱退した。この演奏は、彼が脱退前の演奏である。

サル・プレイエル室内楽コンサート プログラム

ピアノ五重奏曲第1番ニ短調Op.89(

1890年に着手された作品だが、諸々の自由が重なり完成が遅れた。9年間の中断期間を挟み、完成したのは1905年である。中断した理由については、当初ピアノ四重奏曲として作曲されたが、作曲の筆を進めているうちに内容が盛りだくさんになり、ピアノ五重奏曲に変更されたこと、中断期間中に他の作品に取り組んでいたことに加え、プライベートでも問題を抱えていたことがあげられる。初演は1906年3月に作曲者自身のピアノ、ウージェーヌ・イザイ率いる弦楽四重奏団によって行われた。楽譜は1907年に米国で出版されている。
第一楽章 刻々と色彩が変わる、透明かつ儚げなピアノの音色に導かれて弦楽四重奏団が登場する。ピアノは夢を語るが、弦楽四重奏はままならない人生や恋の苦しみ・悲しみをぶちまける。第二主題で展開される、第二ヴァイオリンとチェロのやりとりは、別れ話をしているカップルのようだ。二人はこの恋がうまくいくように努力してみたが、結局は無駄に終わってしまったのだろうか。二人の間を切り裂いたのは身分か、カネか、性格か、あるいは別の何かか。最初は冷静にやりとりしていたはずなのに、時間の経過とともに感情が高ぶり、やがて激しい言葉のやりとりに。知人達が間に割って入り、何とか暴力沙汰になるのだけは防げたが、壊れてしまったお互いの関係を修復するのは難しい。知人達はカップルの関係和解を願っていたが、当人達の意思はかたい。ピアノの音色が明るく響くように感じるのは、彼らにも幸福な時代があったことを暗示するものか。周囲はもうなにをやってもムダと悟ったのか、旋律はすべてを受け入れたかのように静かに終わる。
第二楽章 二人はお互い目を閉じて、幸せだった頃を回想している。出会った頃。付き合ってまもなく時を過ごしたカフェ。酒を酌み交わしながら、夢を語り合ったバー。お互いの気持ちを知ったキスの味。ありとあらゆる感情の赴くまま、お互いの身体を貪り合ったホテルでの一夜。愛情のこもった男の愛撫に、女の理性は完全に彼方へと飛び、欲望のままに快楽の声を上げ続ける。彼女の身体を何度も貫きながら、男は愛していると彼女の耳元で囁く。オンナは枕の上で頭を振りつつ、男の愛のささやきに愛情を感じる。そして訪れる絶頂の時、優しげな愛撫。二人は確かに、お互いの将来に希望を感じたはずだった。なのに、どうしてこうなったのか。
第三楽章 第一・第二楽章と打って変わり、ピアノの音色は明るくなる。どうやら、二人は危機を脱したようだ。とはいえ、お互いの信頼感が戻ったとはいいかねる。二人の間には、まだまだ解決しなければならない問題が沢山ある。周囲は、二人をあれこれと説得しているかのようだ。説得の効果もあったか、二人の間にあったわだかまりは徐々に消えているように見える。終盤の旋律は、二人の和解を暗示したものか。まだ二人は若い。やり直す機会が十分にある。失敗したら、またやり直せばいいじゃないか。

ピアノ四重奏曲第1番ハ短調Op.15(フォーレ)

1876年から79年にかけて作曲された作品である。当時それほど一般的なジャンルといえないこのジャンルを手がけたのは、独自のものを作りたいというフォーレの個人的な思い、室内楽というジャンルの刷新を狙ったものだといわれている。1880年2月、サル・プレイエルで開催された国民音楽協会の演奏会で初演された。しかし終楽章に懸念を示す意見が多かったことから、彼は最終楽章を3年という月日を費やして書き直し、1883年に楽譜が出版された。初稿は作曲者の手元に置かれ、彼の死の直前に下された指示により処分されたとみられている。
第一楽章ではサージュの奏でるピアノが、五重奏曲に比べて重く響くのにお気づきだろうか?明るく透明な音色を効果的に駆使しつつも、全体的にやや感情が不安定に聞えるのは、フォーレの精神状態を反映しているように思える。この曲の完成は3年かかったが、作曲中にフォーレは婚約破棄という精神的な打撃を被っている。この曲の弦楽器は、恋の素晴らしさとロマンを讃え、ピアノの音色は婚約破棄に起因する、彼の精神状態が不安定なことを表しているように思える。おそらくこの曲の中に出てくる(とわたしが勝手に妄想している)男性は作曲者自身。熱烈な恋愛をしていたのに、あっけなくあいてから別れを告げられて、心に深い傷を負った。自分は、再び理想の女性に巡り会えるのだろうか?人並みに結婚し、子どもを持てるのだろうか?不安はあるが、これから自分は悩み苦しみを音楽に託していこう。
第二楽章になると前楽章と雰囲気が変わり、明るい旋律ではじまる曲想である。婚約破棄にはあったが、この頃のフォーレは仕事の面では、順調にキャリアアップを重ねつつあった。楽長としての実績を積み、作曲家としても知名度は高まる。後はあたらしい恋人を見つけるだけだ。中間部の旋律は、男がどこかのパーティーに参加した時の様子を表したのだろうか。男は友人の誘いでとあるパーティーに参加し、そこで好みの女性と出会う。どうやら、先方も男に興味を持ったようだ。酒を片手に、二人は機知に富んだ会話を繰り広げる。お互い、相手のことを自分に釣り合いのとれる存在だと認識したようだ。二人はデートを重ね、愛をはぐくむ。
第三楽章に入ると、再び雰囲気は暗転する。チェロが奏でる、深い深い慟哭に満ちた第一主題。ピアノが強い和音でこれを慰めるも、男の気持ちは晴れない。あるいは女性の気持ちを写し取ったものか?詳しい事情は知らないが、どうやらこの恋は道ならぬ恋だったようだ。二人は出会ってはいけない関係だったのだろうか。この旋律から察するに、どうやら身分違いの恋だったのかも知れない。知性は十分釣り合いがとれる。だが男は明日の生活もままならない貧困層に所属する人間であり、女性は将来を約束された典型的なセレブ出身だったとしたら、この旋律が描き出す世界観は説得力十分。ひょっとしたら女性にとって、この恋は遊びの恋だったのだろうか?純愛を汚された男が、場末の安酒場の片隅で、やけ酒をあおつつ一人むせび泣く光景が目に浮かぶ。
第四楽章 そして男は決意する。もう自分は恋なんかしない、仕事にだけ生きようと。結婚して子どもを持とうという、人並みの幸せを追い求める努力はきれいさっぱり諦めようと。再現部の樫本が奏でる、ヴァイオリンのの音色のなんと逞しいことか。再現部第一主題のリズミカルな造形は見事としかいいようがない。ピアノのカデンツァの音色は、厳粛なオルガンのような音色。コーダの部分では、自分はまだ恋愛、結婚の希望を諦めたわけではない。だが現状では、自分が受け入れられる女性と知り合いになれる可能性は低いという、絶望に満ちた叫びが聞えてくるように感じられるのは私だけだろうか。

ピアノ五重奏曲ヘ短調(フランク)

ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」に触発を受け、30年以上の空白期間を経てフランクが作曲した室内楽曲である、この作品でも「循環形式」が採用されており、冒頭に提示される主題によって全曲の統一が図られている。1878年から79年にかけて作曲され、初演は1880年1月に国民音楽協会にて、サン=サーンスのピアノとマルシック四重奏団の弦楽四重奏で行われた。作曲者は、この曲をサン=サーンスに献呈することを希望していた。だが彼はこの曲の内容に不満だったらしく、演奏が終わると、献辞の書かれた自筆譜を残したまま舞台から去ったそうである。
第一楽章 厳しく、そして悲劇的な予感がする劇的な序奏ではじまる。奏でられる旋律は、恋と人生の厳しさ。展開部では心臓の早鐘のよう。作曲者は、いったいなにを思ってこれほど厳しい旋律を書いたのだろうか?再現部で聴かれる、ピアノの細かい動き。全体的に不安と緊張、そして激しい躁鬱的な旋律。かような旋律が使われた背景について、一説には弟子と不倫関係にあったといわれているが、真相はどうだろう。再現部で出てくる、弦楽器と透明なピアノから奏でられる、悟りきった音色とテンポの劇的な変化は聞き所の一つ。作曲者はこの部分に、己の抱える悩みをこめたのだろうか。
第二楽章 苦悩と厳しさに満ちた第一ヴァイオリンに導かれてはじまる。その後に展開される旋律は、まさに恋の苦しみそのもの。第二主題で吐露される、相手に届かない痛切な思い。「叶わぬ恋は美しい」という概念は、場所や時代が異なっても共通のようだ。秘めたる恋が叶わぬものになると確定した時ほど空しいものはない。なになに、女性は星の数多ほどいるのだから嘆きなさんなって?バカなことをいってはいけない。純愛ほど美しいものはないのだ。俺はあの娘のことが好きだ。ずっとずっと好きだ。好きで好きでしょうがないんだ。でもあの娘は俺の気持ちにさっぱり気がついてくれない。きっと他に好きな男でもいるんだろう。夜な夜な俺は夜が来る度、あの娘が他の男にだかれている姿を想像してしまうんだよ。それはそれは切ないものなんだぜ。悔しくってしょうがないや。
第三楽章 焦燥感に満ちた序奏は、調性が安定していない。畜生俺は、このままでは気が狂いそうだ、どうしたらいいんだろうと発狂寸前の男。ああそうだよ、俺はダメな男なんだよ。弱くて意志薄弱で諦めが悪くて怠け者で稼ぎが悪くて、でもあの娘のことが好きで好きでしょうがないんだよ。このままだと、俺は取り返しのつかないことをやっちまいそうで怖いんだよ。端正で理知的なピアノの響きに対し、弦楽器群はある種の凶器じみた旋律を聴かせてくれる。周りはこの恋は届かないといっても、その忠告は狂ってしまった男の頭にも心にも届かない。おいおいどうしたらいいんだ、下手をすればヤツは本当にとんでもないことをやっちまいそうだ。お願いだ、誰か彼を止めてくれ。でないと、あいつは本当に破滅してしまう。終盤の弦楽器とピアノの音の連打が意味しているのはなに?周囲は男の狂気を止められたのか?その結果は、とても怖ろしくて知ることはできない。

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