「N響夏 2014」

N響夏2014 プログラム
歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」K.588序曲
(以上モーツァルト)
左手のためのピアノ協奏曲ニ長調 作品82
ト長調
(以上ラヴェル)
ポルカ「雷鳴と雷光」(ヨハン・シュトラウス)※アンコール

舘野泉(ピアノ)
(指揮)

2014年7月18日 NHKホール

コンサート・プラス
(タピオラ幻景 作品92から)
(ゴーシュ舞曲集 作品96から)(以上
舘野泉(ピアノ)

NHK交響楽団は毎年夏「N響 夏’○○(○○には数字が入る)」というコンサートを開催している。今年はレオ・フセインを指揮台に迎えた。
レオ・フセインは1978年生まれのイギリスの指揮者。ケンブリッジ大学と英国国立音楽院で学んだ後、サイモン・ラトル、ダニエル・バレンポイムらに指揮を学ぶ。2004年、オペラ指揮者としてデビュー。デンマーク王立歌劇場、ベルリン国立歌劇場をはじめ、世界の名だたるオーケストラと指揮活動を展開。現在はザルツブルク州立歌劇場音楽監督の任にある。N響との共演は今回が初めてである。
今回のソリストである舘野泉は1936年生まれ。両親・きょうだい(弟と妹)・妻・息子が全員音楽家というのは、この記事を書くにあたってはじめて知った。東京芸大ピアノ科を首席で卒業。安川加寿子・イェルク・デームズらに師事。1964年よりフィンランドに在住し、妻は同国人。1981年より、フィンランド政府から芸術家年金をもらっている。
2002年のリサイタルの最中に脳溢血で倒れ、後遺症として右半身麻痺が残ったことをきっかけに、左手だけで演奏できる作品の開拓・作品委嘱・紹介等に力を注いでいる。

N響夏2014 プログラム

歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」K.588序曲

モーツァルトが1790年に作曲したオペラ・ブッファの序曲。「ダ・ポンテ」三部作の一つだが、内容があまりに不道徳なために19世紀は低評価であったという。20世紀になって再評価され、モーツァルトの代表作と認識されるようになった。
演奏は端正だがそれだけという印象。可もなく不可もなし、といったところか。

交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」

第一楽章 オーケストラの響きはやや濁り気味で、「優しさ」「優美さ」よりも「力強さ」に力点を置いたモーツァルト。アタッカではまるでベートーヴェンのような響きだが、演奏が進行するとともに、弦楽器群にしなやかさ、優美さが漂ってくるようになる。第二主題はきびきびと表現され、管楽器郡が愉しげに歌うなどコミカルさも強調されている。クラリネットとフルートのやりとりは、森の中での鳥たちのさえずりのようだ。打楽器の響きは、王族の行進を表現したものだろうか。終盤の細かいパッセージも軽々とクリアしている。
第二楽章 チェロが朗々と豊かな歌を聞かせ、弦楽器の弱音も優雅である。だがこの響きには、表面上は明るくても、どこかしら陰というものを感じさせる。この曲が書かれたのは、作曲者が亡くなる3年前。彼は自分の没落を予想していたのだろうか?低弦楽器が厳粛にリズムを刻み、ヴァイオリンと木管群がロマンティックな旋律を響かせる。後半の第二主題は、ますます陰鬱に鳴り、物寂しさを想起させる音楽である。ホルンの雄大な響きと対照的に、弦楽器は静かに終わる。
第三楽章はメヌエット楽章だが、モーツァルト的なものとベートーヴェン的なものが、高い次元で混ざり合っている印象を受ける。明治時代の舞踏会場はむろんのこと、ヨーロッパの華やかな宮廷外交で踊られていたメヌエットもこんな感じだったのかな?弦楽器全体に力強さがあり、リズムも厳粛で重々しい。
この演奏では、一拍休んだだけで第四楽章に突入する。時間の経過とともに、表現がだんだんドラマティックになっていく。後半パッセージが続くところも、余裕を持ってクリアしている。太い輪郭で、きっちりと曲を表現しているという感じ。厳粛な雰囲気を醸し出すためか、ティンパニの打撃が強めである。

左手のためのピアノ協奏曲ニ長調 作品82

第一次世界大戦の戦傷が原因で右手を切断し、左手だけの演奏活動を余儀なくされたピアニストであるパウル・ヴィトゲンシュタインの委嘱を受けて作曲されたものである。1930年の作品されたが、ラヴェルはこの曲を書くにあたり、古今の作曲家の手による左手の作品を研究したという。
初演は1931年11月にウィーンにて、依嘱者自身であるヴィトゲンシュタイン自身のソロで行われたが、初演時に彼は楽譜に勝手に手を加えて演奏した上、ピアノのソロ部分が難技巧にこだわりすぎ、音楽性に欠けていると非難したために作曲者との関係が険悪になった。そのため楽譜通りの演奏による初演は、1933年にジャック・ファヴリエによるパリでの演奏まで待たなければならなかった。ファヴリエの演奏が見事だったからか、ヴィトゲンシュタインも後に自分の非を認めている。
コントラバス・ファゴット・チェロという低く、渋い音色を奏でる楽器の合奏で始まる。徐々に他の楽器も加わり、最高潮になったところでピアノが登場する。舘野のピアノは、左手一本しか動かしていないにもかかわらず、とても重厚で迫力に満ちている。カデンツァの後を受けたオーケストラ全奏では、ハリウッド映画みたいな響きが登場する。再び登場するピアノは、とてもファンタジーな雰囲気に満ちあふれ、柔らかく、響きが澄んでいて、上品である。金管楽器に不協和音が出てくる第三部においては、ピアノの響きも迫力が増し、力強い響きがある。後半は行進曲調のリズムに鳴り、時間の進行とともにデモーニッシュな雰囲気が増し、打楽器の響きもこれに輪をかける。第一部の主題が回帰されると、ピアノの長大なカデンツァ。ここでの館野のピアノの響きは、最初はオルガンのような響きから、徐々に透明でクリアーな響きに鳴り、徐々に幻想的な光景を作り出していく。最後に力強い響きで、この曲は閉じられる。

亡き王女のためのパヴァーヌ ト長調

ホルンの音色に、どこかわびしさが漂う。王女を亡くした親の気持ちを表出したものだろうか。ゆったりと、儚げなテンポである。これはデュトワが、N響とはじめて講演した時の記録も残っているし、このブログにも書いたのだが、個人的には今回の演奏が気に入った。弦楽器の音色はとてもしなやかで、管楽器の音色は色彩感に富んでいるからだ。

バレエ音楽「ラ・ヴァルス」

フランス語で「ワルツ」という意味を持つこの曲は、もともとはバレエ音楽として企図されたものである。管弦楽版の発表に先立ち、2台ピアノ版をバレエ・リュス主宰者ディアギレフに聴かせた。だが彼はこの曲を傑作と認めつつも「バレエには不向きだ」として受け取りを拒否、二人の関係はこれをきっかけに壊れてしまったという。
2台ピアノ版は1920年10月、ウィーンにて作曲者自身とアルフレード・ガゼッラによって行われ、管弦楽曲版は同年12月、パリにてカミーユ・シュヴィヤール指揮ラムルー管弦楽団によって行われた。因みにバレエ盤の初演は定かではないが、1928年頃には上演の記録が残っている。
低弦のトレモロによる混沌とした雰囲気に始まり、徐々にワルツのリズムとメロディが顔を出す。迫力と威厳に満ちた独特の舞踏音楽であり、力強く、管楽器の色彩感も彩りが豊か。これだけの傑作なのに、どうしてディアギレフは、この曲の受け取りを拒んだのだろう?私にはこの曲で優雅に舞い、踊るバレリーナの姿が目に浮かんでくる。展開が進むに連れて徐々にワルツらしいリズムが崩れ始め、テンポが乱れ、転調を繰り返し、リズムも破壊される。ラヴェルが見たのは世界の行く末とその破滅か、それとも自らの健康への不安か?終盤一度テンポを落とし、それからまた加速していく。最後のオケの咆吼と盛り上がりは、一体何を意味しているのだろうか?

ポルカ「雷鳴と雷光」

アンコールで演奏されたのは、ヨハン・シュトラウスのポルカ「雷鳴と雷光」。1868年に作曲され、同年2月の舞踏会で初演された。
オケも聴衆もいい気分になってたのか、何かものすごい演奏だった。ご機嫌なサウンドだが無機的ではなく、オケが持っている潜在能力を全力で引っ張り出した結果、あの表現になったのだろうと思っている。

コンサート・プラス プログラム

コンサート・プラスは、舘野泉の演奏で、吉松隆の作品2曲。
吉松隆は1953年生まれ。松村禎三、河合学らに作曲を師事。1978年にデビュー、1981年「オーケストラのための『ドーリアン』」が交響楽振興財団作曲賞を受賞、同年発表した「朱鷺によせる哀歌」が現代の音楽展’81で初演され、高い評価を受けた。1984年、西村朗とともに世紀末音楽研究所を設立、ここを拠点に作曲活動を展開している。

水のパヴァーヌ(タピオラ幻景 作品92から)

寂寥感と、いいようのない憤りが込められているような作品。自分で何かしたい、されど出来ない事情がある。情熱はある、されど出来ないから諦めざるを得ない。曲全体から漂ってくるのは、この世に対する無常観。である。

ロック(ゴーシュ舞曲集 作品96から)

文字通り、ロックのようなリズムから、ピアノの力強い響きを最大限に引き出す作品。タイトルこそ「ロック」だが、曲のそこかしこからジャズみたいなリズムが出てくる佳曲。

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