「讀賣日本交響楽団 4月定期公演」

讀賣日本交響楽団 4月定期公演
4つのヴァイオリンのための協奏曲ロ短調 Rv580(合奏協奏曲集<調和の霊感>作品3から第10番)より第一楽章(
弦楽セレナーデハ長調 作品48より第4楽章(


小森谷巧(ヴァイオリン コンサートマスター ヴィヴァルディ・クライスラー・マスネ)
伝田正秀(ヴァイオリン アシスタント・コンサートマスター ヴィヴァルディ)

肥田与幸(以上ヴァイオリン ヴィヴァルディ)
読売日本交響楽団
2014年4月3日東京オペラシティ コンサートホール

私が初めて聴いた、讀賣日本交響楽団の最初の講演である。このブログでの紹介が後になったのは、どうしても紹介したい演奏が他にあったからだ。
今回の定期演奏会プログラムは、すべて指揮者なしで演奏するという、なかなか野心的なものである。ヴィヴァルディや弦楽セレナードはともかく、「未完成」を指揮者なしでやって、アンサンブルが破綻しないかどうか注目していたが、この野心的な試みを、この日の聴衆はどう評価しただろうか。

讀賣日本交響楽団 4月定期公演プログラム

4つのヴァイオリンのための協奏曲ロ短調 Rv580(合奏協奏曲集<調和の霊感>作品3から第10番)より第一楽章

合奏協奏曲集<調和の霊感>作品3は、ヴィヴァルディが作曲した、12曲からなるヴァイオリン協奏曲集である。1711年に出版された。
第10番は、4つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲。協奏曲というより、弦楽合奏にソリストが4人ついた形式、と思った方がいい。4人のソリストを中心に、オーケストラのメンバーが一つの音楽を協力して作っていく、という意思が垣間見える演奏である。ソリストの親密な対話を、少人数の弦楽合奏とチェンバロが支えている。ソロも音色も艶やかな音色を着替えているが、バロック的な典雅な雰囲気からはほど遠いのが残念。

弦楽セレナーデハ長調 作品48より第4楽章

チャイコフスキーが1880年に作曲された作品であり、チャイコフスキーの代表曲の一つである。CDでは、ドヴォルザークの弦楽セレナードとカップリングされることが多い。この演奏では、チェロとコントラバスをのぞいた弦楽器奏者が、立奏形式で演奏している。ヴィヴァルディでは成功した情熱的な表現と音色は、こちらでは裏目に出た。ホールの音響やマイクセッティングの影響もあるのかもしれないが、音色が汚く濁って聞こえる部分が散見される。また、所々でやたらと肩の力が入っているようにも聞こえた。

美しきロスマリン

20世紀を代表する名ヴァイオリニストであるフリッツ・クライスラーが作曲した、小品の名品である。コンサートのアンコールピースやヴァイオリンの小品集で取り上げられる機会も多い。この演奏会では、ソリスト・小森谷の名技が一番の聞き所になっている。のびのびと演奏しているが、ウィーンの香りというのは漂ってこない。

交響曲第7番ロ短調「未完成」

シューベルトがグラーツ楽友協会から「名誉ディプロマ」という称号を受けたのは、弱冠25歳〈1822年〉のことである。彼はそのお礼として、彼らのために交響曲を作曲することにした。その作品が、本公演で演奏された「交響曲第7番」である。
ところがいかなる理由からか、シューベルトはこの作品の作曲を途中で放棄し、別の交響曲(第8番「グレイト」)を書き上げ、この曲はいってみれば「放ったらかし」の状態にしてしまった。その理由については様々な分野から考察されているが、シューベルトはこの交響曲に限らず、作品を完成しないで放棄することが他の作曲家に比べて多かったという。原因として、彼は論理的な思考を苦手にしていたこと、飽きっぽい性格だったからだと推測されている。
本来4楽章で構成されるべき交響曲が、本作品に限ってなぜ2楽章しかないのかについても様々な説がある。そのなかで有力なのは、2楽章の構成のままでも十分芸術的であると本人が判断したからというものである。実際、現在残されている本作品の第3楽章のスケッチは完成度が低く、彼の判断は正しかったとする研究者も少なくない。
シューベルトは本作品について、グラーツ楽友協会に完成分の楽譜を送付していたことから、協会は本作品を世に送り出すに当たり、送付分の楽譜だけで出版することにした。初演が1865年と、作曲者が亡くなってから40年近く経過していたのは、上記の理由によるものである。
第一楽章は重々しく始まるが、だんだんと力強くなっていく。指揮者なしであるにもかかわらず、アンサンブルには破綻がない。テンポは中庸で、ほぼ楽譜の指定通り。コンサートマスターが言うとおり、確かに個々人の技術が高いのだろうが、それが音楽性に反映されているかと言われれば、答えに窮してしまう。アタッカでは、木管の音色がほとんど聞こえてこない。終結部の木管の音色も、儚さというのがほとんど伝わってこない。代わりに聴衆の前にやってきたのは、マッチョなシューベルト。私が抱いているシューベルトは、弱々しい「芸術青年」というイメージなんですが。
第二楽章に入っても、テンポはほぼ楽譜の指定通りで解釈も中庸、アンサンブルをかちっとまとめることを優先した感じの演奏になってしまったのは残念。38:00過ぎからの弱音の部分も、ただ「弱音のように見せかけている」と言うだけで、全体的にデリカシーに乏しい印象を聴衆に与えかねない。そのあとの木管群のやりとりも、音色にこくや色気が乏しい。だが41:20過ぎからの弦楽器軍の表現は、それなりに美しいメロディーである。それでも、曲の魅力を伝えるとはまでにはいかないのは残念。43分過ぎの表現は、全体として評価できると思う。だが、好調は長く続かず、終結部の表現はもっと工夫があっていいのではないかと思った。

タイスの瞑想曲

アンコールで演奏されたのは、マスネの「タイスの瞑想曲」。この曲は、マスネが作曲した歌劇「タイス」において、第2幕第1場と第2場の間に演奏される。オペラでは独奏バイオリン、オーケストラ、合唱という形式で演奏されるが、コンサートのステージで取り上げられることも多い。
美しきロスマリン以上に、小森谷が自分の世界に浸って演奏している、オケはそれについて行っているという印象。音程もちょっとアヤシいところがあった。色気も艶も乏しい演奏。言っちゃ悪いが、N響や他のオーケストラを聞き込んでいる人にとっては、何か物足りない演奏である。

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