「NHK交響楽団 第1783回定期演奏会」

ローザ・フェオーラ(ソプラノ)

第1783回定期演奏会
交響曲第5番 変ロ長調 D.485(
交響曲第4番 ト短調(

(ソプラノ)
(指揮)
NHK交響楽団
2014年5月28日 サントリーホール

コンサート・プラス
彼女の青い目が(「」から)
美しさを愛するのか(リュッケルトの詩による五つの歌から)
(以上マーラー)
望月哲也(テノール・訳詞)
河原忠之(ピアノ)
2010年5月25日 王子ホール

N響第1783回定期公演の指揮台に登場したのは、京都市立交響楽団常任指揮者・広上淳一である。彼の演奏は、当ブログでもマーラーの演奏を紹介しているから、詳しい感想はこちらを参照してください。前回彼が演奏するマーラーを聴いてその素晴らしさに感銘を受け、N響に登場した時は、ぜひマーラーを取り上げて欲しいなと思っていたので、今回の顔合わせは非常に嬉しかった。しかも今回の演奏会場は、音響面でN響の本拠・NHKホールを遙かにしのぐサントリーホールということもあり、どのような演奏を聴かせてくれるのかと、期待は高まったのだった。
ソリストのローザ・フェオラはローマの音楽院、ローマ聖チェリーリア国立アカデミーのオペラマスタークラスで学び、2009年のローマ聖チェリーリア国立アカデミーで演奏された「ランスへの旅」でデビュー、2010年のプラシド・ドミンゴ国際オペラコンクールで第2位に入り注目を浴びたソプラノ歌手である。

NHK交響楽団 第1783回定期演奏会 プログラム

交響曲第5番 変ロ長調 D.485

1816年9月に作曲が開始され、10月3日に完成したという記録が自筆譜に残されている。繰り返しを無視した演奏時間は30分弱だが、それを考慮に入れると、彼の作曲スピードはかなり速かったといえる。最も彼は論理的思考より、即興で作曲のペンを進めることも多かったというから、それを踏まえれば、このスピードも納得か。交響曲第4番と同様、オットー・ハトヴィッヒが指揮する私設オーケストラで演奏されるために作曲されたと考えられているが、初演及び公開演奏会における詳細については、今日でも不明のままである。
第一楽章はさわやかな表情で始まる。弦楽器は速めのテンポで、のびのびと歌う。アレグロ楽章だが、この曲が流れる舞踏会で、参加者が楽しげに踊る様子が目に浮かぶ。このテンポとリズムに乗って、姫様と踊れたら、満場はやんやの大喝采だろう。シューベルトは「楽聖」ベートーヴェンを尊敬しており、臨終間際の彼を見舞ったエピソードはあまりにも有名だが、この曲はむしろモーツァルトの影響が強いように感じられる。15:00過ぎからの表現は軍楽調で、少しはベートーヴェンを意識しているのかな?と思う。終結部は、モーツァルトの交響曲第40番を想起させる。
第二楽章は前楽章とは雰囲気ががらりと変わり、ゆっくり目のテンポで展開される。弦楽器の響きが生々しすぎるように感じられるのは、マイクセッティングの影響も考えられる。生の会場ではどう聞こえたのだろうか。木管群は優しい音色でリズムは力強い。後半になると、弦楽器群が響きが優雅で洗練された音色を奏でるようになる。 ティンパニが登場しないから、余計に音色が優雅に聞こえるのだろう。後半のメロディーの、何たる美しさ!この曲を書いた時、シューベルトはまだ19歳だというのが信じられない。最後のホルンの音色は、まさに天上の音楽と言うべき透明さである。
第三楽章はドラマティックな響きで始まる。モーツァルトの交響曲第40番の影響を受けているといわれるが、これは本当だろう。響きもリズムも軽やかであり、指揮者は時に細かくオケに指示を出し、時にオケに任せるなど、自在に音楽の流れを作っていく。ホルンの音色の透明感は最高。弦楽器の響きも厚みがある。
第四楽章では再びテンポが速くなるが、かなり劇的な印象を与える。優雅で透明感がある音色は素敵。終盤の猛烈なアッチェレランド(加速)は、聞いていてドキドキする。ベートーヴェンのようにごつごつしてくなくて汗臭くもないが、ロマンの濃厚な臭いが感じられる。

交響曲第4番 ト短調

マーラーが完成した10曲の交響曲(「大地の歌」を含む)のうち、最も規模が小さい曲である。曲想も軽快で親密さを持っているため、比較的早くから演奏機会が多かった。第四楽章の歌詞に用いられる「少年の魔法の角笛」との関連から、交響曲第2番、第3番とのつながりが指摘されることもあるが、音楽的には第5番との関連が深い。
作曲に着手したのは1899年夏で、1901年10月に全曲が完成した。初演は1901年11月25日にミュンヘンで、マーラー自身の指揮・カイム管弦楽団(ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の前身)の演奏で初演されたが、多くの聴衆からブーイングが浴びせられたと伝えられる。なお第4楽章は1893年10月に「天上の生活」というタイトルでハンブルクで初演されたが、このときは交響曲として着想されていなかった。楽譜は1902年に出版され、1963年に改訂を加えた「全集版」が刊行された。
第一楽章は不安の影を湛えたフルートと鈴の音色に導かれて登場し、ハイドンのような優雅な雰囲気が漂うが、そこかしこにはいかにもマーラーらしい音色がちりばめられている。第二主題はチェロの力強い響きで表現され、オーボエの音色に導かれる弦楽器のメロディーが何とも素晴らしい。(放送開始から)50分過ぎにコンマスが奏でるチャルダーシュのような響きと、それに導かれて登場する不安感一杯な響きが登場した直後、再び明るいメロディーが出てくる。暗いメロディーの後に出てくる、ほんのわずかだがほっとする一時。マーラーは「幸せは長く続かない」ことを知っていたのだろう(実際、彼の結婚生活はかなり苦難に満ちたものになった)。金管群の奏でる、不安感をかき立てるような響きと不協和音。作曲者の不安な心のひだを反映させたかのような弦楽器の音色。地獄への行進への合図のようなティンパニ。混沌とした様相から登場するトランペットの響き。そして突然途中から再現される第一主題。ティンパニの一撃から、一瞬の総休符を挟んでのトゥッティとそこから一気の盛り上がり。端正でメルヘン溢れる響きと音色。かと思うと不安感丸出しに唐突に始まるメロディー。最後は牧歌的なホルンに導かれ、第一主題を途中から静かに表現したあと、一気に曲は盛り上がって幕を閉じる。
音程を2度高くしたコンマスのヴァイオリンに導かれて、第2楽章が始まる。手を変え品を替え何回も出てくるのは、晦渋さと諧謔さに溢れたマーラー独特の音世界という、歌曲集でおなじみのメロディ。トランペットが奏でる旋律は、当時のウィーン音楽会の空気をそのまま映し出したような雰囲気を醸し出す。このメロディは、死に神が奏でているように聞える聴衆がいるかも知れない。1:08:45頃からの、ポルタメントがたっぷりかかったヴァイオリンに導かれる不気味なメロディの後、調性が崩壊したような金管群の音で、曲が閉じられる。
第三楽章では、叙情的な響きも交えつつも、どこか人生を斜に構え、何かを諦めたかのようなメロディーが続く。オーボエの音色がどこか物悲しい。ここで繰り広げられる雰囲気は、交響曲第5番第三楽章を想起させる。1:17:17からのオーボエのどこか物悲しい響きは、交響曲第1番第一楽章と似ているなと感じるのは私だけか?。1:19:30からのコンマスが奏でる、情念を湛えたかのようなヴァイオリンの音色は何とも不気味。曲がすすむにつれて明るい旋律が出てくるが、ティンパニの激烈な打撃がでるのを合図に、響きは一気に暗くなる。チェロの奏でるメロディは、すべてを悟りきったかとおもえば一転してメロディは明るくなり、しばらくすると再び悟りきったかのようなメロディに戻る。これは作曲者の精神状態を反映したものなのか?
この演奏では休むことなく第四楽章に入る。フェオーラは澄んだ音色を駆使してドラマティックな歌唱を聴かせてくれるが、これがマーラーの雰囲気に似合うかどうかは、意見が分かれそうである。

コンサート・プラス プログラム

コンサート・プラスで演奏されたのは、マーラーの歌曲集「さすらう若者の歌」「リュッケルトの詩による5つの歌」から各1曲ずつが取り上げられ、訳詞はこの演奏会で歌っているテノール・望月哲也が担当した。

彼女の青い目が(「さすらう若者の歌」から)

歌曲集「さすらう若者の歌」は4曲で構成されるが、成立の経過はなかなか複雑である。1884~85年にかけて作曲されたが、1891年~96年にかけて大幅な改訂が行われている。もともとはピアノ伴奏版として作曲されたが、1890年代初頭にオーケストレーションが施されたようだ。初演は1896年に管弦楽伴奏版が演奏されているが、ピアノ伴奏版が先に初演された可能性もある。楽譜は1897年に出版された。なお放題では「若人(若者)」と訳されるが、原題の「ein Geselle 」は「マイスター(親方)の称号を得るためにドイツ語圏を渡り歩いた職人を指すため、実際の「若者」とは限らないそうだ。
この演奏会で紹介された「彼女の青い目が」は、歌曲集の最後に出てくる作品。恋人のまなざしの面影に苦しめられた男が、もうこれ以上堪えられないと嘆く歌。恋に破れた青年は、夜の街を一人彷徨う。失った愛の思い出と、これからたっぷり味わうであろう、苦しみを友として。ピアノも、そんな青年の心情にぴったり寄り添っている。菩提樹の元で眠りについたとはどういうこと?青年は死を選んだのか?

美しさを愛するのか(リュッケルトの詩による五つの歌から)

1901年~1902年にかけて書かれた連作歌曲集で、正式名称は「フリードリヒ・リュッケルトによる5つの歌曲」という。ピアノ伴奏版と管弦楽伴奏版があるが、「美しさゆえに愛するのなら」のオーケストラ版は、マーラーによるものではない。楽譜出版は1905年。曲の順番は指定はなく、演奏順序は各歌手に任されている。
この演奏で取り上げられているのは「美しさを愛するのか」。「人間は見かけではなく、中身が大事。オカネよりも美しさよりも、とにかく自分を愛してください。そうしてくださるのなら、自分もあなたを愛します。」と訴える。これはいったい誰が訴えているのだろうか。でもここで歌われていることは、現代にも通じる。人間の悩みは、100年経っても変わらないのだということを実感させられるなあ。

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