「NHK交響楽団 第1781回定期演奏会」

第1781回定期演奏会
交響曲ニ短調 作品48(
オランダ人のモノローグ「期限は過ぎた」(歌劇「さまよえるオランダ人」より)※
「前奏曲」(楽劇「トリスタンとイゾルデ」より)
「ウォータンの別れと魔の炎の音楽」(楽劇「ワルキューレ」より)※
「ジークフリートの葬送行進曲」(楽劇「神々の黄昏」より)
(以上 ワーグナー)
(バリトン)※
(指揮)
NHK交響楽団

コンサート・プラス
ヴァイオリンソナタ イ長調から第4楽章(フランク)
(ヴァイオリン)
(ピアノ)
2012年11月4日 サントリーホール

N響第1781回定期演奏会は、指揮台にイタリアの若手指揮者ガエタノ・デスピノーザを迎え、フランクとワーグナーというプログラムを組んだ。ワーグナーはクラシックファンならみなさんご承知の演目であり、歌手はドイツのバリトンであるマティアス・ゲルネである。
デスピノーザは1978年イタリア・パレルノ生まれ。現地の音楽院でピアノ・ヴァイオリン・作曲を学んだ後、ミラノにてイタリアが生んだ偉大なヴァイオリニストであるサルヴァトーレ・アッカルドに師事。長らくヴァイオリニストとして活動した後、2008年より指揮者としての活動をはじめる。ドレスデン、ジェノヴァ、リヨンの歌劇場での成功で音楽界から、その豊かな音楽的才能を絶賛される。その後も、世界各地の著名オーケストラでの客演を重ねるなど、実績を積み上げている。

NHK交響楽団 第1781回定期演奏会 プログラム

交響曲ニ短調 作品48(フランク)

フランクはフランスで活躍した作曲家だが、その生まれはドイツ圏文化の影響が色濃いベルギーである。そのため、この作品においても、ベートーヴェンや同時代人であるワーグナーの影響も指摘されており、フランス人によるドイツ風交響曲と評されることも多い。
彼の代表作は晩年に集中しているが、この作品も最晩年の1888年に作曲され、弟子のアンリ・デュパルクに献呈された。1889年2月にパリ音楽院にて初演されたが、初演の評価はあまり芳しいものではなかったという。だが本人は、自分の想像していたとおりの音が鳴り響いて満足していたといわれ、ドビュッシーはこの曲を絶賛した。
第一楽章は重々しい響きを伴って始まるはずなのだが、今ひとつ鈍い響きである。とはいえ、作曲者自身はワーグナーに多大なる影響を受けたこともあり、響きの至る所でワーグナーと似たような旋律が登場する。彼が暮らしたフランスは洒脱な雰囲気を持津音楽が多い。しかし彼の持っている響きは、ベートーヴェンやワーグナーなどドイツの影響が色濃く滲み出ている。この曲は冒頭の響きに、ベートーヴェンの最後の弦楽四重奏曲で用いられている音が用いられているから、旋律も展開も論理的に聞える。後半のドラマティックな盛り上げ方は、いかにもワーグナー。それでも音が生きていない。これは指揮者の表現力がないからか、ホールの音響が悪いからか、オケにやる気がないからか?ティンパニの迫力も今ひとつだし。響きがなんか大味なんだよね。ネットで「緊張感がない」という意見が寄せられていたのもむべなるかな。木管群の音はチャーミングだが、寂寥感が今ひとつ。
第二楽章における最大の聞き所であるイングリッシュ・ホルンには、寂しげ・儚げな雰囲気がまるで感じられない。弦楽器にはそれが出ているのだが、全奏に入ると長く続かないのはマイナス。弦楽器群の強弱のバランスは整えられているが、せわしなく動いているだけで音色の魅力に乏しい。おまけにハープの音色もまるで聞こえない。イタリア人の指揮者なのに、節回しにも魅力が乏しいのはどういうこと?第一楽章みたいな、ドラマティックな展開がない。
第三楽章に入り、やっと旋律をうたうようになったと思ったが、相変わらず魅力に乏しい演奏が続く。40:30からの猛烈な加速も、ただ加速しているだけ。弦楽器と管楽器の掛け合いも、ぴしっと決まらない。44:10あたりから、やっと旋律の魅力を前面に打ち出すようになった。クラリネットの儚げな音色も素敵で、弦楽器の弱音もいい。フィナーレになると、俄然やる気になるのがこのオケの面白いところだが、この演奏はあまり面白くなかった。それは聴衆も同じようで、会場内に響く白けた拍手で証明された。ブラボーの声が聞えた?この演奏のどこが「ブラボー」に値するのか?お義理のブラボーなのか、それともこの日の聴衆は、音楽というのがわかっていなかったのかのどちらかだろう。

オランダ人のモノローグ「期限は過ぎた」(歌劇「さまよえるオランダ人」より)

後半のプログラムはワーグナー特集。
ソリストを務めるマティアス・ゲルネは、1997年にザルツブルク音楽祭でオペラ・デビューし、その後は世界中の音楽祭や歌劇場に出演を重ねている、オペラ界のスーパースターである。研ぎ澄まされた声から産み出される演技は性格描写に優れ、独自の世界を表現していくバリトン歌手である。
最初に演奏されるのは、歌劇「さまよえるオランダ人」からオランダ人のモノローグ「期限は過ぎた」。この作品はドイツの詩人ハイネ作「フォン・シュナーベレヴォプスキー氏の回想記」をワーグナーが再構成した作品。1843年に初演された。
7年ぶりに上陸したオランダ人。オランダ人の苦悩を余すところなく表現しているゲルネの歌唱だが、オケの音色は相変わらず魅力に乏しい。「ワーグナーやっています」という雰囲気はあるのだが、弱っちくて迫力がないワーグナー。ゲルネ演じるオランダ人は「死にたい、死にたい、だけど死ねない」という雰囲気がよくでている。「地上に永遠の愛があるのか?」だって?私は、この日本に「永遠の愛」が存在するのかと問い詰めたくなる。「最後の審判の日、終末の日」のくだりは、今の日本の情況を端的に表しているような気がしてならない。いや、日本だけでない、世界中が最後の審判を受けようとしているのだ。その結果、この世は一体どうなるのだろうか?

「前奏曲」(楽劇「トリスタンとイゾルデ」より)

「トリスタンとイゾルデ」全曲は1857~59年に作曲され、台本もワーグナー自身が執筆した。初演は全曲完成から6年後の1865年6月、ミュンヘンのバイエルン歌劇場で行われた。作曲完成から初演までこれだけ時間がかかったのは、ワーグナーが理想とするキャストがなかなか見つからなかったこと、見つかっても様々な理由で実現しなかったことなど、様々な理由があった。初演したミュンヘンでは、演奏にかかった費用全額を地元が負担したため、現地のメディアからは酷評された。
「前奏曲」は官能的な旋律で知られているが、この演奏からは、むせかえる独特の官能美の世界がちっとも伝わってこないのだ。コントラバスが大写しされるが、それが音楽の魅力としてまるで伝わってこないのが歯がゆい。そして、そのまま消え入るように曲を終える。つまらん。実につまらん。

「ウォータンの別れと魔の炎の音楽」(楽劇「ワルキューレ」より)

4日にわたって演奏される「ニーベルングの指輪(以下「指輪」)」4部作の第1日(実質的には2日目)の「ワルキューレ」の中の1曲。全曲は1856年に完成し、初演は1870年6月に行われた。場所は「トリスタンとイゾルデ」同様、バイエルン歌劇場である。
この曲でゲルネは、娘のことを切に気遣う父親を真摯に表現する。その歌唱表現はワーグナーというよりドイツ・リートの世界。この曲の演奏になって、オケはワーグナーの求めている官能美とはなんぞやというのを、ようやくを表現できるようになったようで、ウォータンの切々たる心情を余すところなく表現する。後半になると、ゲルネの歌もだんだんワーグナーっぽくなってくる。木管群の小鳥のさえずりは、色彩感に富んでいる。だが最後のほうは、やっぱりN響なんだな。ワーグナーの持っている「狂気」がまるで感じられない。ゲルネの歌唱も、オケにあわせたのか、どことなく他人行儀で優等生的になってしまった。

「ジークフリートの葬送行進曲」(楽劇「神々の黄昏」より)

最後に演奏されたのは「指輪」第3日で上演される「神々のたそがれ」から「葬送行進曲」。全曲は1869年から1874年にかけて作曲され、初演は1876年8月、ハンス・リヒター指揮によりバイロイト音楽祭で行われた。なお前日には、同じ会場と指揮者で「ジークフリート」が上演されている。この演奏ではジークフリートの英雄的な面が強調され、リズムはやたらとキレるが、ワーグナーの狂気・官能性はあまり感じられないのが残念だ。

コンサート・プラス プログラム

ヴァイオリンソナタ イ長調から第4楽章(フランク)

コンサート・プラスはフランクのヴァイオリン・ソナタイ長調より第四楽章。
この曲はフランク晩年の1886年に作曲され、同郷のヴァイオリニストであるウジェーヌ・イザイに捧げられた。交響曲で持ち入れられた循環形式が、この曲でも用いられている。
演奏は当代きっての名手・クレーメル。彼がユダヤ系ドイツ人の血を受け継ぐラトビア人である事は以前から承知していたが、父親がホロコーストの生き残りであったこと、祖父も歌劇場のヴァイオリニストであったことは、この記事を書くまで知らなかった。その血統を受け継いだのか、7歳で地元の音楽院に入学し、弱冠16歳で国内コンクールに優勝。その後モスクワ音楽院に留学し、デヴィッド・オイストラフ(彼もユダヤ系である)に8年間師事。1970年のチャイコフスキーコンクール・ヴァイオリン部門で優勝、それ以降は世界各地で、活発な演奏活動をしている。
カティア・ブニアティシヴィリは1987年グルジア・トリビシ生まれの女流ピアニスト。2003年のホロヴィッツ・国際ピアノコンクールで優勝、2008年のアルトゥール・ルービンシュタイン国際ピアノ・コンクールで第3位という経歴を持つ。ウィーンでオレグ・マイセンブルクに師事し、現在はパリ在住である。クレーメルの伴奏者を務めているのは、彼と故郷が一緒である事、クレーメルが主催する六件ハウス音楽祭に出演していることも大きいようだ。
クレーメルの演奏は、伴奏者と対話して一緒に音楽を作っていくんだという雰囲気が溢れる名演。ピアノもとても情熱的だが、時として音色が荒っぽくなり、ミスタッチが散見されるのは残念。音色の変化もヴァイオリンに比べたら乏しい。ネットで検索したら、その演奏スタイルや音色は賛否両論であり、中には「美貌とファッションスタイルはモデル顔負けだが、音楽はたいしたことはない」という批判もあった。CDもあるが、今のところ彼女の演奏を聴く機会は、私にはなさそうだ。

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