NHK放送響楽団第1773回定期演奏会

 第1773回定期演奏会プログラム

 ピアノ協奏曲第20番ニ短調K466
即興曲D.899から 第2曲 変ホ長調()※アンコール
(ノヴァーク版)

(ピアノ)
(指揮)
NHK放送響楽団
2014年1月15日 サントリーホール

コンサート・プラス プログラム

レクイエムよりラクリモーサ「涙の日よ」(モーツァルト)


(指揮)
(オルガン)
2012年10月24日 いずみホール

N響第1773回定期演奏会のプログラムはモーツァルトとブルックナー、これを指揮するのはイタリア人という、異色の組み合わせ。モーツァルトの作品、特に彼のオペラは、台本をイタリア人が担当した作品が多いから相性はよさそうだが、ブルックナーはどうなのだろう?いろんな意味で、注目の組み合わせである。
今回のプログラムを指揮するファビオ・ルイージは、1959年生まれのイタリアの指揮者。パガニーニ音楽院、グラーツ音楽院で研鑽を積み、1983年デビュー。オーケストラではライプツィヒ放送交響楽団、ロマンド管弦楽団の音楽監督、首席指揮者を歴任。歌劇場では、ザクセン州立歌劇場、シュターツカペレ・ドレスデンで音楽監督を務め、2012年よりメトロポリタン歌劇場で首席指揮者を務めている。
ソリストのブッフヒンダーは1946年生まれ、チェコ育ちのオーストリアのピアニスト。5歳でウィーン国立音楽大学に入学、9歳で公開演奏会デビューを果たした神童である。デビュー当初は室内楽に重点を置いてキャリアを積み、とりわけベートーヴェンの専門家として、高い評価を得ているが、レパートリーは古典派から20世紀の現代音楽まで幅広い。

ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466

モーツァルトはピアノ協奏曲を27曲(編曲含む)残しているが、単調で書かれたのは2曲しかない。本作品はそのうちの1曲で、CDではもう一つの短調の作品である、協奏曲第24番ハ短調K.491とカップリングされることが多い。
初演は1785年2月11日、ウィーン市内の集会所「メールグルーベ」で自身が開いた予約演奏会で初演された。これまで書かれた作品とは印象ががらりと変わり、暗く不安げな旋律、劇的な限界、厳しさ・激しさの入り交じった感情表現が盛り込まれた作品である。カデンツァは作曲者自身のものは現存せず、演奏会ではベートーヴェンやブラームスの作品が演奏されることが多いが、希に演奏者自身のカデンツァが演奏されることもある。今回の演奏会では、ブッフヒンダーはベートーヴェンのカデンツァを用いている。
第一楽章のオーケストラ弦楽器群はきっちり拍を刻み、ピアノも一音一音くっきりと、曲の輪郭を表現している。この表現は指揮者の意向に違いないが、弦楽器群が醸し出す篤いハーモニーに支えられ、ピアノは自由闊達な世界を表出するが、後半になると、局長よりも名技性を前面に打ち出す解釈が気になった。
第二楽章になると、ピアノは暖かい音色でゆったりと旋律を奏でる。この楽章中間部を、父レオポルドは「気高いほど荘厳」と表現したが、ピアニストはこの部分を気高く、荘厳に表現している。その音色は時にゆったりと、時に烈しく。曲の進行とともに、音色もテンポも頻繁に変わる。28:33秒過ぎからの表現は、まるでオルガンのよう。最後の部分では、ソリストは頻繁にテンポを変えてくる。
第三楽章ではピアノソロの後、弦楽器ででピアノと同じ旋律が奏でられるが、とてもドラマティックな表現なのは、指揮者がオペラ大国・イタリア出身だからだろうか?木管群とピアノソロの掛け合いは見事。歌う右手、これを支える左手。ピアノのアタッカ。最後のカデンツァは、オルガンのような響き。最終盤のオーケストラの響きは、モーツアルトというよりまるでベートーヴェンである。

即興曲D.899から第2曲変ホ長調

アンコールで弾かれたのは、シューベルト作曲の「4つの即興曲」より第2曲より変ホ長調。
この曲は、シューベルト晩年の1827年頃に作曲されたが、生前に出版されたのは第1曲・第2曲。第3曲・第4曲は死後の1857年に出版された。構成的追求よりも自由な旋律美を優先させているが、調性が不安定で、原調に解決しない作品が多いといわれる。
鍵盤の上を活発に(せわしなく)動く右手、それを力強く支える構図、というのはモーツァルトの時と同じだが、ファンタジーのにおいを醸し出してはいる。しかし中間部では、ベートーヴェンばりにばりばりと汚いことを出すこともいとわない。テンポも音色も自在に変えているが、どうもこういう演奏は好きになれない。オーケストラの団員の中にも、仏頂面で拍手を送っている人がいたところを見ると、あまり好きな演奏ではないと思っているのだろう。

ブルックナー交響曲第9番ニ短調(ノヴァーク版)

ブルックナーが作曲した、最後の交響曲である。彼は1887年からこの作品に取りかかったが、全曲を完成する自信がなかったのか、その後しばらくは交響曲第1番、交響曲第8番の改訂に時間を費やした。1892年に本作の作曲を再開したが、この頃から彼の健康状態は悪化していく。
1894年11月に第三楽章が完成するが、本人は既に自らの死期が近いことを悟っていたのだろう。教鞭をとっていたウィーン大学にて、この作品が未完成に終わったら、先に作曲していた合唱曲「テ・デウム」を演奏するよう言い残している。
彼は死去当日の午前中まで作曲を続けていたが、結局全曲を完成すること亡くなくなった。未完成に終わった第四楽章の楽譜は、ソナタ形式再現部の第三主題部でペンが止まっている。現在ブルックナー研究者の多くは、ブルックナーは本交響曲において、全体のスケッチを作曲し終えているとしているが、草稿の多くが失われているため、どこまで完成しているのかはわかっていない。これはブルックナーの死後、遺品回収業者が彼の自宅を漁りまくり、その課程でフィナーレ草稿の一部が行方不明になってしまったためである。行方不明の一部はアメリカで発見され、その後も自筆譜断片の捜索は続けられているが、現在発見されている部分以外は喪失したと見なす研究者もいる。
自作改訂魔として知られたブルックナーだが、本作は未完成に終わったため、他作品のような作曲者による異稿版は存在せず、完成された楽章においても、資料上の混乱が少ないのが特徴である。それでも、原典番と作曲者の死後に出版された楽譜(レーヴェ版)との相違が極端であるといわれている。
なお未完成に終わった第四楽章(草稿・演奏・研究者及び演奏者の見解)についての詳細は、こちらをご参照願いたい。初演は1903年、オーストリアの指揮者であるフェルディナント・レーヴェの手により、ウィーンで上演された。初演で使用された楽譜は、彼自身が改訂したレーヴェ版だが、今回の演奏で取り上げられたのは、1951年に出版された「ノヴァーク改訂版」である。
第一楽章の空虚5度で始まる「ブルックナー開始」は、録音の問題もあるのだろうが、金管群の音が強すぎて、弦楽器群の音がほとんど聞こえない。実演ではどのように観客席に聞こえたのか気になるところである。第一楽章の弦楽器のアタッカでは、イタリアの指揮者が奏でる豊満なハーモニーは、随所にオペラティックな節回しと響きが聞こえるから、この響きをブルックナー愛好家はどうとらえるか。特に金管群はそれが顕著。1:02:00からの表現は、まるでワーグナーのオペラを聴いているよう感じがするが、ワーグナーとブルックナーは同世代の人間であり(ワーグナーのほうが11歳年上)、おそらくルイージはブルックナーとワーグナーは同世代の人間である事を聴衆に認識してもらいたくて、こういう表現をとったのだろうか。1:06:50からの弦楽器の表現はとても表情が豊かである。そして1:09:50からの表現は、まるでオペラのアリアの聴かせどころを聞くような表現。全体的に金管群は弱音のデリカシーのなさを露呈している。下手というのではないが、この響きと表現は、ブルックナーのあの独特の音世界を表現するのには、あまりにも相性が悪すぎる。ドラマティック一辺倒では、この曲の魅力は伝わらない。
弦楽器のピチカートで始まる第二楽章。43小節からの暴力的トゥッテイはかなりデモーニッシュ(悪魔的)な雰囲気が漂うこの曲の第二楽章が大好きだ。だがギュンター・ヴァントをずっと愛聴してきた私にとっては、この演奏での第二楽章は物足りなく感じる。これは録画のせいもあるかもしれない。オーボエとフルートの愛らしい主題はメルヘンを感じさせるが、金管群の不安定な演奏が、すべてをぶち壊しにしてしまう。おまけに、多くの聴かせどころでは、弦の響きが不安定な金管群に負けてしまっている。この演奏での悪魔的な響きは、ティンパニストの活躍によって得られたものである。それがなかったら、すべてはぶち壊しになっていただろう。
9度上昇で開始される第三楽章の響きは、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を思わせるものである。トゥッテイに続く弦楽器の最弱音の響きとは対照的に、ワーグナーチューバをはじめとする金管群の響き、特に弱音のデリカシーのなさはこの楽章にも散見される。1:33:00過ぎからの表現はブルックナーというよりワーグナーで、ブルックナー本来の持つ敬虔さ・荘厳さ・謙虚さ・素朴さとは対極的にある演奏。弦楽器・特に低弦部の響きは未練たらたらの男の泣き言に聞こえるといったら言い過ぎか?曲の全体が不協和音に満ちているとはいえ、実際の演奏の響きは「不協和」というより「でたらめ」といわれてもしょうがない。1:41:50前後の演奏は、世界に対する警告音のように聞こえた。1:46:45からの表現は、寂寥感を感じさせる。終結部は穏やかに締められるが、ワーグナーチューバの不安定さは最後まで解決しなかったのが残念。終了後「ブラボー」のかけ声が聞こえたが、この日の演奏の不出来さを一番感じているのは団員だろう。その表情は満足感というより「やれやれ、一仕事終わった」という気持ちが表に出ていた。個人的にも、ヴァントで聞き込んだ耳には物足りなく感じてしまった。評論家の宇野功芳は、自著で「ブルックナーは指揮者を選ぶ。演奏家との相性が悪いと、とたんに音楽が死んでしまう」と書いているが、この演奏を聴くと、そう思っているファンの気持ちもわかる。

レクイエムよりラクリモーサ「涙の日よ」

コンサート・プラスで演奏されたのは、2012年のウィーン楽友教会合唱団演奏による、モーツァルトの「レクイエム」より「ラクリモーサ」(涙の日)。
モーツァルトはこの曲を8小節しか書いておらず、ここから先は弟子のジュースマイヤーの補筆が入っている。演奏は荘厳さに満ちあふれているが、それ以上でも以下でもない。

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