京都市交響楽団第577回定期演奏会

京都市交響楽団第577回定期演奏会 プログラム

ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18(ラフマニノフ)
交響曲第1番 「巨人」(マーラー)
歌劇「カプリッチョ」から 月光の音楽(R・シュトラウス)※アンコール

ニコライ・ルガンスキー(ピアノ)
広上 淳一(指揮)
京都市交響楽団
2014年3月14日 京都コンサートホール

Eテレで毎週日曜日に放映されている「クラシック音楽館」は、普段はN響の演奏を中心に演奏しているが、1~2ヶ月に1本の割合で、他のオーケストラの演奏を放映する。Eテレのクラシック番組枠は、以前室内楽、ソロリサイタルも数多く放映していたのに、2年くらい前の番組改編で、他ジャンルは衛星放送でしか見られない。クラシック音楽ファンにとっては大いに不満である。
さて今回の放映は、広上淳一指揮京都市交響楽団の定期演奏会の演奏だった。個人的にはN響だけでなく、地方で頑張っているオーケストラの演奏をどんどん紹介してもらいたいものである。そのための公共放送局なんでしょ?
京都市交響楽団(以下「京響」)は1956年、日本唯一の自治体直営オーケストラとして設置され、半世紀以上の歴史を持つ。運営は2009年に京都市から、京都市のある財団法人京都市音楽芸術文化振興財団に変わったが、京都市とのつながりは今も深い。
現在の常任指揮者である広上淳一は1958年生まれ。東京音楽大学在学中の1982年、第17回民音指揮コンクール(現:東京指揮者音楽コンクール)に入選し、1984年のキリル・コンドラシン国際青年指揮者コンクールで優勝し、翌年N響を指揮して日本デビュー。その後も国内外のオーケストラでキャリアを積み重ねた。
2008年の京響常任指揮者就任以降は、2013年1月~2014年5月まで定期後援会チケット完売を記録するなど、このオーケストラの知名度向上に貢献している。

ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18(ラフマニノフ)

ソリストのニコライ・ルガンスキーは、1972年生まれのロシアのピアニスト。1994年、チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門2位(1位なし)になり、以後は国際的にキャリアを積み重ねるかたわら、現在ではモスクワ音楽院でも教鞭を執り、後進の指導に当たっている。
前半のプログラムは、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。この曲は以前このブログでも、ベレゾフスキーの演奏を取り上げていたから、どうしても彼の演奏と比べてしまう。
第一楽章のピアノ序奏はメリハリをつけ、バスの響きを重視し、ゆっくり目のテンポで始まる音作りである。ピアニストの要求に合わせたのか、オーケストラのテンポもゆっくり目をベースに、緩急の差を自在につける。一音一音くっきりと表情をつけ、ロマンティックな雰囲気が漂う。ピアノの音色の透明感、オーケストラの表情も、こちらの方が私の好み。19:35分以降のピアノの響きはゆっくり目だが力強く、21:25からのホルンの響きは一抹の寂しさを感じる。
第二楽章におけるピアノの響きは、どことなくメランコリックな響きを醸しだし、その音は儚げで悲しい。その響きは、作曲者が躁鬱病で苦しんでいた時の心情を振り返っていたのだろうか。弦楽器もピアニストに配慮し、万全のサポートぶり。彼はラフマニノフの演奏で定評があるようで、この曲も共感度の高さを感じる。カデンツァの部分は、作曲者が新たなスタートを決意する意思が込められているように思える。ベレゾフスキーがこの曲の難儀性を前面に打ち出した表現なのに対し、ルガンスキーはこの曲の難しさを微塵も感じさせない。
第三楽章は前楽章から一転し、名技性を全面的に打ち出した解釈。オケの迫力はN響が勝るが、オーケストラのしなやかさは京響が勝る。ベレゾフスキー&N響が「男」を全面的に打ち出したピアニズム&解釈に対し、こちらのコンビは、作曲者の持つナイーブさとロマンティズムを前面に打ち出した解釈であるが、音のダイナミズムは、ロシアン・ピアニズムの伝統を感じさせてくれる。同じロシアのピアニストなのに、ここまで雰囲気が違うのはどうしてなのだろうと、興味を持つ。フィナーレのテクニックの迫力はベレゾフスキー以上。協奏曲は、指揮者とソリストの相性が大事だなと実感させてくれる演奏だった。

交響曲第1番 「巨人」(マーラー)

第一楽章は、弦楽器群の冒頭のA音のフラジオレットは集中力が強い。チェロが導く第一主題はしなやかで牧歌的であり、音楽する喜びに溢れているが、これは指揮者の指揮ぶりも多分に影響されている。指揮台のうえでリズム感のいいダンスをするのは、私が見た範囲であるという条件付きだが、おそらくバーンスタイン以来ではないか?テンポはゆっくり目、金管の響きも柔らかめだが、決して無機的になっていないのがすごいと思う。1:00:32分からの木管群の響きは、自然の歓喜の歌を表現したものか。弦楽器もホルンも響きが柔らかく、優しい。今時、こんな艶っぽい音色を聴かせてくれるオーケストラは、世界中を探してもそうそうないのでは?フィナーレも、あくまでも上品で柔らかい。
第二楽章になると前楽章とは雰囲気が一転して、弦楽器も管楽器群も歯切れがよく力強い響きを聞かせてくれる。それでいて、牧歌的な雰囲気は少しでも損なわれていないのがすごい。金管楽器の響きの不協和音も不快にならない。1:12分過ぎから、冒頭のメロディーが流れてきたと思うと、すぐにレントラー調の中間部。「レントラー調」とは、ウィンナ・ワルツの祖先に当たる楽曲だそうだが、いかにもダンスがしやすいテンポで演奏が進んでいく。三部形式の最後の部分は、さらに迫力も増して曲を締めくくる。
第三楽章の冒頭、ティンパニとコントラバスが最弱音の音色を奏でる。ファゴットと弦楽器が、メランコリックな響きを醸し出す。木管群がのびのびと歌い、弦楽器がピチカートでこれを支えポルタメントたっぷりに旋律をうたう。中間部に入る前のチェロの響きは、どこかもの悲しさを感じる。中間部冒頭のヴァイオリンの響きは、まるでウィンナ・ワルツのように濃厚な表現。コントラバスのピチカート。主部回帰部冒頭のティンパニは最弱音。トランペットの勇壮な響き。そして軍楽隊みたいな旋律が登場。1:27:40過ぎの弦楽器の表現はかなり時代がかった、濃厚な響き。
第四楽章では、前楽章終結部とは一転し、やたらと戦闘的な第一主題が登場。だがオーケストラ全体の響きが柔らかいこともあって、全体的な迫力に欠ける印象をあたえる。テンポもほかの指揮者に比べて遅めで、曲調に比べて軟弱に聞こえるのは気のせいか?
第二主題は逆に、曲調が優美なこともあって、京響の特徴である弦楽器の艶やかかつしなやかな響きが効果的に働き、作曲者のほとばしる情熱を表現することに成功している。そして戻ってくる第一楽章の冒頭部。ここからの表現は、弱音主体で進むから、まるでホラー映画を見ている感じ。第一楽章のファンファーレが現れるが、金管楽器が音を外す場面があったのは残念。
第一楽章の冒頭部が再び登場し、この部分は最弱音で表現される。弦楽器はそのまま弱音で演奏する部分が続く。集中力を保つ必要があるから、奏者にとってはきつい部分であるが、弦楽器の忍耐強さは賞賛に値する。1:46:30過ぎのリズムはこれでもか、これでもかとばかりに強調され、シンバルの強打、ティンパニの最強音に導かれてのコーダ、そのまま勝利感に溢れる集結部になだれ込む。響きに力強さが欲しいと感じるし、テンポももうちょっと速いといいなと思うけれど、これだけ表情豊かなマーラーは、そうそう聴けないなと思う。会場で聴いたお客さんがうらやましいなと思う。

歌劇「カプリッチョ」から 月光の音楽(R・シュトラウス)

アンコールで演奏されたのは、R・シュトラウスの歌劇「カプリッチョ」から「月光の曲」。初演は1942年10月、バイエルン国立歌劇場。オペラ全体は機知に富んだ喜劇だが、初演は第二次大戦の真っ最中である事を頭に置いて欲しい。この曲は終盤の場面転換の時に演奏されるが、単独演奏されることも多い。ホルンの力強い響きと、R・シュトラウスらしい弦楽器の響きを堪能できる。豪華絢爛な響きに満ちた曲だが、これは苦戦が続く戦争を、一寸でも忘れたいと願うドイツ国民の総意なのか、それとも国民の不磨をそらしたい、ナチス政権の狙いだったのかはわからない。わずかながら垣間見える破滅への影。ナチス政権が破滅するのは、この曲が上演されてから2年半後の出来事である。

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