水戸室内管弦楽団第89回定期演奏会 他

水戸室内管弦楽団第89回定期演奏会 プログラム

序曲「フィンガルの洞窟」ロ短調 作品26
交響曲第4番イ長調「イタリア」作品90(以上メンデルスゾーン)
交響曲第4番変ロ長調 作品60()※

(指揮)
(指揮)※

2014年1月17日 水戸芸術館コンサートホールATM

コンサート・プラス プログラム

シューマン 歌曲集「」作品48(抜粋)
ハイネ作詞(広瀬大介 訳詞)

1.「美しい五月に」
2.「わたしの涙から」
3.「ばらに、ゆりに、はとに」
4.「あなたの瞳を見つめる時」
5.「私の心をゆりのうてなに」
6.「神聖なラインの流れに」
7.「私は嘆くまい」
8.「花が知ったなら」
9.「鳴るのはフルートとヴァイオリン」
10.「恋人の歌を聞く時」
11.「夜ごとの夢に」
12.「昔話の中から」
13.「いまわしい思い出の歌」

ナタリー・シュトゥッツマン(コントラルト)
インゲル・ゼーデルグレン(ピアノ)
2013年2月4日 横浜フィリアホール

水戸室内管弦楽団は、1990年に開館した水戸芸術館専属の室内オーケストラで、年間4回の定期演奏会を行っている。第89回の定期公演で、世界的なコントラルトであるナタリー・シュトゥッツマンを指揮者に迎えた。
シュトゥッツマンは歌手としては世界的に有名であるが、指揮者としての舞台はこれがはじめて。彼女が今回の演奏会で指揮した2曲は、いずれも歌手として重要なレパートリーであるメンデルスゾーンの作品である。

序曲「フィンガルの洞窟」ロ短調 作品26

作曲者は20歳の時、ドイツ帰属の招待に応じてスコットランドを旅行した。旅行中、嵐の夜にフィンがル洞窟を訪れた際、この中で霊感を受けた彼が、2年後に作ったのがこの曲である。タイトルに「序曲」という名前がついているが、単独で完成した作品と考えられている。初演は1832年5月14日、ロンドンにて行われた。なお、この曲の原題は、洞窟がある「ヘブリディーズ諸島」だが、日本では通称が曲名として知られている。
指揮者としてのデビューということもあってか、序盤の演奏はプレッシャーでガチガチ。前半は明らかにオーケストラの能力に頼り、面白味がまるでない。後半は弦楽器がしなやかな響きを聞かせ、クラリネットの音色は侘しく、ティンパニの響きは力強かったが、これは指揮者というより、オーケストラの自主的な表現の結果だろう。

交響曲第4番イ長調「イタリア」作品90

彼は交響曲を5曲遺しているが、その中では最も上演帰化の多い作品である。1830~31年のイタリア旅行がきっかけになって作曲された。完成したのは1833年、同年5月13日にロンドンにて初演された。
指揮台に立ったのは、序曲に続いてシュトゥッツマン。だがこの曲でも、オーケストラの農力頼みの演奏になってしまった。というより、団員は指揮者の指示なんか当てにせず、自分たちの演奏経験で培った解釈を、前面に打ち出した演奏というべきだろう。オルフェウス室内管弦楽団みたいに、すべてのレパートリーを指揮者なしで演奏する団体もあるし、この団体も定期公演の半分近くは、指揮者なしで演奏するそうだから、指揮者の演奏経験はあまり気にしないのだろう。オケは彼女の表情から、自分のやりたい表現をくみ取り、それを音にしていく。大規模な管弦楽曲が出たのはベルリオーズ以降だから、この時代の作品は指揮者なし、あるいは経験不足の指揮者でも何とかなるのだ。
指揮者も曲の進行とともに、オーケストラから美しい響きを引き出せるようになり、リズムにもメリハリが出てくるようになったが、指揮者としての経験不足は否めない。終演後にお約束の「ブラボー」の掛け声はいかにも「お義理」であり、団員の態度もどこか素っ気なかった。それでも彼女は、指揮活動をやっていくのだろうか?

交響曲第4番変ロ長調 作品60

この曲は1806年頃からはじめられ、1807年3月にロブコヴィツ侯爵邸で開催された私的演奏会にて、作曲者自身の指揮で初演された。同じ演奏会で「コラリオン序曲」「ピアノ協奏曲第4番」も初演されている。
今回の定期演奏会で、この曲だけ小澤征爾がタクトを振るったのは、たぶん彼の体調に原因があると思われる。
ともあれオーケストラというのは、指揮者が変わるとこれだけ音色も表現も変わるのだということを、改めて実感した。
第一楽章の演奏を一言で振り返るなら「激しい」。ベートーヴェンの人生が波瀾万丈というイメージがあるからかもしれないが、これほど激しい表現はあまり聴いた記憶はない。小澤は一部の音楽評論家から「カンはいいが軽薄、表情がのっぺらしていて中身がない」と酷評されているが、少なくても、この日の演奏はそれは感じない。かなりごつごつした「男・ベートーヴェン」であり、「アダージョ」であるはずの第二楽章に入っても、その印象は少しも変わらない。リズムくっきり、メリハリかっきり、それでいて歌心もある。小澤くらいの年齢(御年79である!)になったら、評論家から「枯淡の境地を感じさせる演奏」とかいわれそうだが、彼は年をとればとるほど、エネルギーを増していくという感じ。あれだけの大病をしたのに、これはすごいと思う。
指揮ぶりは相変わらずエネルギッシュだが、長年の持病である腰痛を抱え、さらに近年は食道ガンの手術もした影響もあり、全曲通しても30分ほどの規模にもかかわらず、第一楽章と第二楽章の間は、坐って休憩していた。第三楽章終了後も少し休憩を入れ、第四楽章で弦のパッセージが早くなる場面が出てきてもアンサンブルは少しも乱れず、響きが薄っぺらくならないのはベテランのなせる技。指揮者とオケが一体となって、一つの音楽を紡いでいる。彼らは最良の関係を築いていると言っていいだろう。一度テンポを落として、きっぱりとしたり済みで締めくくったフィナーレは見事である。終演後、オケの一人一人と握手をして回る小澤。こんな指揮者は、世界中見てもそうそういないのでは?と思えてくる。

歌曲集「詩人の恋」作品48(抜粋)

コンサート・プラスのコーナーは、シュトゥッツマンのコントラルト(=アルト)、ゼーデルグレンのピアノによる、シューマンの連作歌曲集「詩人の恋」。この曲はシューマン作曲の中で最も有名な歌曲集で、ハイネの詩に曲をつけた作品。「歌曲の年」といわれる1840年に作られた。愛の喜び、失恋の悲しみとその苦しみを歌った内容で20の詩で編集され、シューマンはこの詩集から16曲を選んで曲をつけた。ただ、ハイネがこれらの詩に盛り込んだ皮肉を、シューマンがどれだけ音楽に盛り込めたかについては、後世の音楽家達の議論のネタになっている。
1曲目から4曲目までは、曲がりなりにも恋の喜びを歌う。
ところが第5曲でその世界はは暗転する。「私は嘆くまい」では、一見過去の恋から決別し、新たな人生を歩もうとするものの、どうしても諦めきれない詩人の胸中を歌っている。これは、ハイネ自身が経験した恋なのか?それでも立ち直れない男は、星や花に、自分の現在の境遇や、彼女に対する恨み辛みを切々と訴える。見ず知らずの男の失恋話に延々と聞かされる花や星はたまらない。それでも気が済まない詩人は、天使にも泣き言を垂れるようになる。そして、涙混じりの恨み節。これが日本の演歌だったら、やけ酒をあおる男が出てくるだろうに。過去の苦い恋を引きずるハイネは、おそらく酒を飲みつつ、泣きながらこの詩を書いたに違いない。
哀れな詩人は、とうとう夢の中にでてくる恋人にまで話しかけ、泣き言を垂れる。それだけでも女性にとっては鬱陶しいのに、この恋を終わらせたのは自分だという設定にしているから始末が悪い。「詩人を振った」彼女がフェミニストだったら、この詩人に「軟弱者」だの「卑怯者」だのと、あらんばかりの罵声が浴びせるにちがいない。挙げ句の果てにはこの詩人、童話の世界まで彼女を登場させて、うんざりするくらいい泣き言を垂れる。ひょっとしたらこの詩人、恋の主導権を握るのは男性だという観念に凝り固まっていないか?中世ヨーロッパの時代だったら、それが当たり前だっただろう。だがこの詩集が編まれた時期は、フランス革命を経て、ヨーロッパ中の女性が「権利意識」に目覚めつつあった時代である。時代の流れに敏感な女性と、時代の流れに取り残される男性のカップルでは、うまくいく道理がないじゃないか。
19世紀も半ばになろうとしているのに、意識が未だに「絶対王政時代」のままの哀れな詩人。おそらくこの詩人には、時代の変化を指摘してくれる友人がいなかったのだろう。現実世界にタイムマシンがあるなら、私はこの時代に飛んでいって、この詩人の頬をひっぱたいてやりたい気分になってきた。魔法の国に行きたい?いつまでもバカなことをいっていないで、いい加減に現実を受け入れてくれといいたくなる。あげく、この恋を「いまわしい思い出だ、棺桶の中に突っ込んでやる」と言い出す。
ひぃぃ、辛い現実から逃げまくったおかげで、この詩人はとうとう頭がおかしくなった。棺桶に閉じ込められ、海に沈められるのべきなのは、恋の思い出ではなくあんた自身だろうが!墓に入るのは彼女ではなくお前だろうが!そして君が行くのは天国ではない。破れた恋を自分の都合のいいように脚色した罪で、地獄に湧いているだろう業火に、その身を焼かれるのがよいのだ!
この詩人が現代にいたら、間違いなく恋に破れてストーカー騒ぎを起こしたバカな男として、世間から好奇の目に晒されること請け合いである。
だが、これが恋なのだ。
これが恋の世界なのだ。
恋に破れた男の世界がここにあるのだ。

やっぱり、シュトゥッツマンは歌手に専念した方がいいのではないか?と思ってしまうほどの出来である。
彼女の歌唱は、恋の魔力、苦しみ、喜びを的確に表現していると思う。
ピアノの表現もまた然りである。

このエントリーをはてなブックマークに追加
はてなブックマーク - 水戸室内管弦楽団第89回定期演奏会 他
Share on Facebook
Bookmark this on Google Bookmarks
LINEで送る
Pocket