NHK交響楽団 1768回定期演奏会

NHK交響楽団 1768回定期演奏会 プログラム

交響詩「魔法にかけられた湖」作品62(
ヴァイオリン協奏曲第2番嬰ハ短調 作品129(
交響曲第5番ホ短調 作品64(

トゥガン・(指揮)
NHK交響楽団
2013年11月20日 サントリーホール

コンサート・プラス プログラム

ルックス・エテルナ(永遠の光)(レクイエムK626より 
アンナ・プロハスカ(ソプラノ)
バイエルン放送合唱団
スウェーデン放送合唱団
クラウディオ・(指揮)
ルツェルン音楽祭管弦楽団
2012年8月10日 文化会議センター・コンサートホール(スイス)

概要

NHK交響楽団第1768回定期演奏会は、トゥガン・ソヒエフを指揮者に、ソリストに諏訪内晶子を迎え、前回に引き続きオール・ロシアプログラムを組んだ。

交響詩「魔法にかけられた湖」作品62

「ロシア5人組」の一人に入れられるリャードフだが、出版された作品は多くない。これは自身の怠け癖、自信のなさに由来する厳しい自己批判のせいだといわれている。
この作品はもともと、オペラ「シンデレラ(ロシア語「ゾーリュシカ」)」のためのスケッチを流用して使われた作品である(彼の作品には、既存の素材や編曲が多い)。リャードフは10年以上もこのオペラの作曲→中断を繰り返したあげく、結局作曲を放棄してしまった。1908年あるいは1909年、このときの音素材を流用する形で発表されたのが本作品である。1909年、ニコライ・チェレプニンの指揮により、サンクトペテルブルクで初演された。
重々しく、かつ朦朧とした響きで始まる本作品は、これまで聞いたことがないようなメロディが、次々と浮かんでは消えていく。タイトルに「湖」の文字が使われているように、さざ波のような響きが随所に出てくる。ディズニーの映画に出てくるような、とてもロマンティックな響きがする佳曲。副題として「おとぎ話の絵」という言葉が使われているが、この曲はもっと聴かれてもいい作品である。おそらくソヒエフも、この曲のすばらしさを知ってもらいたくて、本作品を紹介したのだろう。

ヴァイオリン協奏曲第2番嬰ハ短調 作品129

ソリストの諏訪内晶子は、1990年のチャイコフスキー国際コンクールのヴァイオリン部門優勝者である。
本作品は、旧ソ連屈指のヴァイオリニストであるダヴィッド・オイストラフの還暦記念作品として計画され、1967年9月26日、オイストラフの独奏、キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、モスクワで初演された。余談だが、作曲者はオイストラフの年齢を誤って記憶していたというエピソードがある。もちろん、献呈は初演者であるオイストラフになされた。
難解といわれる嬰ハ短調によって書かれ、伝統的な三楽章形式で書かれているが、切れ目なく全曲が演奏される。諏訪内自身がインタビューで「第一楽章は、組み立てるのが難しい」というだけあり、ソリストに高度な技巧を要求する難曲である。
この作品には、ショスタコーヴィチの作品で最も有名である「交響曲第5番」で使われるメロディが多々出てくるが、交響曲の内容は、全体的に前向きというイメージが強いのに対し、本作品の第一楽章に使われるそれは、晦渋に満ちた世界が展開される。打楽器の響きは、当局の弾圧を表しているのだろうか?
この曲が書かれた時代のソ連の政権を担当していたのは、東西の「冷戦」からの雪解けを目指したフルシチョフから、クーデターで共産党第一書記(のち書記長、当時のソ連の最高指導者)の座を奪ったブレジネフだった。この政権の時代は当局の監視の目が厳しく、ソ連国家保安委員会(KGB)が、政敵や反対派と目した国民を容赦なく弾圧していた。スターリン時代から、決して「いい子」ではなかったショスタコーヴィチにも、厳しい監視の目が注がれていたのは間違いあるまい。
対位法的なカデンツァからソリストとオーケストラの充実した対話を経て、愁いをたたえたメロディで始まる第二楽章。諏訪内のヴァイオリンは、作曲者本人の叫びにほからならない。ショスタコーヴィチがソリストの魂を、技術を、そして音色を利用して露わにした、内面の自由を求める心からの叫び。絶え間ない当局の弾圧と監視体制に、自分なりに精一杯抗議の声を上げるが、当局は決して監視の目を緩めようとしない。抗議しても無駄だと内心わかっているが、それでも抗おうとするショスタコーヴィチ。ティンパニの響きに誘われる形で始まるカデンツァは、何を言われても自分は諦めない、いいたいことはメロディーに託すんだといわんばかりの決意を表しているかのようだ。
第三楽章は、前楽章の雰囲気が消えないうちに、いきなりヴァイオリンと管楽器の言い争いが始まり、そのままリズミカルな主題が登場する。管楽器と弦楽器の相の手が交互に繰り返され、テンポも頻繁に変わる。やがて長大なカデンツァ。諏訪内は豊かな表情でオーケストラを会話をしつつ、情熱的にメロディーをうたわせる。終盤の加速部分は、ソリストにとって至難の技巧を要求されるが、諏訪内は難なくこれをこなしていく。やっぱり、彼女はすごいと思う。チャイコフスキー・コンクール優勝から20年あまり、すっかり貫禄がついた彼女は、観衆の拍手に応え、ステージと袖の間を4往復した。この日の観衆も、この作品と演奏のすばらしさを認めたのである。

交響曲第5番ホ短調 作品64

この交響曲は1888年5月から8月にかけて作曲され、同年11月に作曲者の指揮によりサンクトペテルブルクで初演された。交響曲第4番との間隔が11年も空いているのは、前作からの疲労感や曲想が沸かなかったからだといわれている。だが1886年の演奏旅行の成功、R・シュトラウスマーラーグリーグら同世代の作曲家らとの交流から刺激を受け、創作意欲を取り戻して作曲されたのが本作である。初演を聴いた聴衆からは好意を持って迎えられたが、専門家からの評価は芳しくなく、当人も本作について「こしらえ物だ」と自虐的に手紙に書いていたという。だが演奏会を繰り返す毎に評判が高まり、本人も成功作として認識するようになった。
第一楽章は、重々しい雰囲気で始まる序奏付きのソナタ形式。木管群が第一主題を奏で、弦楽器が重々しくリズムを刻む。第二主題では、弦楽セレナードのような響きの後、ホルンが勇壮なメロディを聴かせる。ワルツは情熱的で、弦楽器群は朗々たるロマン色濃厚な響きを聴かせてくれる。終結部はあっという間に加速した後、ゆっくりかつ静かに曲が終わる。
第二楽章。厳粛な合奏で始まる序奏と、どこか寂しげなホルンが奏でる第一主題。この指揮者は、旋律をロマンティックに歌わせるの好きなようだ。全奏で「運命動機」の部分はたまらなく切なくなる。少しの間の後、静かに楽章は再開され、そして終わる。
第三楽章。これは苦さ・切なさが混じったワルツ。初恋、成功に至るまでの苦難、自殺未遂にまで追い込まれた結婚生活の破綻、正当な評価を得られるまで、評論家・演奏家から批判された続けた作品。普通の人だったら楽しげに聞こえるワルツも、チャイコフスキーにかかると、これほどまでに晦渋に満ちたものになるのだろうか?
第四楽章。運命動機で始まる序奏に始まり、ティンパニの強打に導かれて始まる、民族色豊かな第一主題。再現部からの劇的盛り上がりは、あまり聞いた記憶がない。全休止はあまりはっきりとは表現されない。堂々たるコーダの表現は、ありとあらゆる苦難を克服した勝利の歌。最終盤の猛烈なアッチェランド(加速)をかける指揮者の姿は、見ていて息をのむ。そして迫力に満ちたフィナーレ。
終演後、この日の名演の立役者が、続々と指揮者に指名されて立ち上がる。なんといっても、一番の貢献者は金管奏者だ。首席ホルン奏者の見事な演奏。日本人で、これだけ迫力がある音色を奏でられるホルン奏者も、これだけ情熱たっぷりなチャイコフスキーを表現する指揮者も今まで聴いた記憶はない。観衆からは「アンコール!」というかけ声がかかった。この指揮者はまだ30代後半だが、将来が楽しみである。

ルックス・エテルナ(永遠の光)(レクイエムK626より)

コンサートプラスは、今年1月20日、胃がんのために80歳の生涯を閉じたクラウディオ・アバドの追悼放送。NHKはこのコーナーでは「みずみずしく知的な解釈の演奏」と紹介しているが、一部の日本の評論家からは
「ユースオーケストラや室内管弦楽団を振らせると、みずみずしい表現を聴かせてくれるのに、既存のオーケストラを振らせると、本当に生ぬるい表現しか出来ない」
とボロクソにけなされていた。当ブログでもアバドの演奏を紹介しているが(動画は削除された)、この演奏でも似たような印象を受けた。
この演奏は、2012年ルツェルン音楽祭で演奏された、モーツァルトのレクイエムからルックス・エテルナ(永遠の光)。
アバドは2000年に癌に倒れ、以来壮絶な闘病生活を送っていた。抗がん剤の影響からか、あれだけ恰幅のよかった体格は見る影もなく、見ていて痛々しく感じる指揮姿である。
これ、モーツァルトのレクイエムだよね?それにしては、ずいぶんドラマティックなんですが。オペラ解釈で一時代を築いただけあって、合唱団にもオケにも歌うことを要求しているのだが、モーツァルトのそれは、もっとしみじみと、地味な感じじゃなかったっけ?ヴェルディじゃないんだしさ。最後の祈りの表情は、自らの死期が近いことを悟ったのだろうか?そうだとしたら、あの仰々しくもドラマティックな表現は、自分のそう長くはないだろう余命を知った上で、最後の思いのたけを注いだ上での演奏だったとしたら納得がいく。
長い沈黙の後、観衆からこの巨匠に割れんばかりの拍手が送られる。たぶん彼らも知っていたのだろう。アバドが余命幾ばくもないことを。
彼は、この拍手をどんな思いで聴いていたのだろう?
彼の心中を察する術は、もう誰も持っていない。

さようなら、アバド!

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