NHK交響楽団1767回定期演奏会

NHK交響楽団 1767回定期演奏会
プログラム

ピアノ協奏曲第2番 作品18(
10の前奏曲第6番変ホ長調 作品23(ラフマニノフ)※アンコール
交響曲第5番 作品100(
ボリス・ベレゾフスキー(
トゥガン・ソヒエフ(指揮)
NHK交響楽団
2013年11月15日 NHKホール

コンサート・プラス
練習曲変イ長調 作品25-1「牧童」
練習曲ヘ長調 作品25-3
練習曲イ短調 作品25-4
練習曲ハ短調 作品25-12(以上ショパン)
ボリス・ベレゾフスキー(ピアノ)
1992年6月4日 東京芸術劇場
以上2014年1月5日
クラシック音楽館

NHK交響楽団は1767回の定期演奏会で、ロシア人指揮者のトゥガン・ソヒエフ(1977年ー、ロシア・北オセチア共和国ウラジカフカス生まれ)を指揮者に迎え、オール・ロシアのプログラムを組んだ。
ソヒエフはゲルギエフ記念ウラジカフカス芸術学校を経てサンクトペテルブルク音楽院を卒業。在学中はイリヤ・ムーシンユーリ・テルミカーノフに師事し、1999年にプロコフィエフ国際音楽コンクールの指揮者部門で最高位(1位なしの2位二人)を受賞、2001年12月、マリインスキー劇場でロッシーニのオペラ「ランスへの旅」でデビュー。2005年からトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団の首席客演指揮者兼音楽アドバイザーになり、3年後の2008年に同楽団の音楽監督に就任した指揮者である。

交響詩「中央アジアの草原にて」(ボロディン)
ボロディンは「ロシア5人組」の一人だが(残り4人はムソルギスキーキュイバラギレフリムスキー=コルサコフ)、本職は科学者であり、音楽家は「日曜作曲家」だった。代表曲にオペラ「イーゴリ公」があり、オペラの序曲はしばしばコンサートにも取り上げられる。当曲は当時のロシア帝国皇帝・アレクサンドル2世の即位25周年を記念して作曲され、リムスキー=コルサコフの指揮で初演された。
楽譜には、以下のような文章が書かれているという。

見渡す限り広々と広がる中央アジアの平原を平和なロシア民謡が聞こえてくる。遠くから馬とらくだの足音に混じって、東洋風な旋律が響き渡る。そしてアジアの隊商がロシア兵に護衛されながら果てしない砂漠の道を、安全に進む。征服者と征服されたものたちの歌…ロシアの歌とアジアの旋律が溶け合って、不思議なハーモニーを作る。そのこだまは次第に平原の空へ消えていく

ロシア民謡とアジアの隊商の東洋的旋律をモチーフにしているため、曲調はとても東洋的である。
ソヒエフはゆったり目のテンポを保って、じっくりと旋律をうたわせている。弦楽器群の音色が「キーキー」と聞こえるところがあるが、ピチカートの柔らかさと弱音の美しさ、ホルンの骨太な音色が印象に残るほか、チェロの歌心溢れる表現、木管・金管群のハーモニーが印象に残る佳演だと思った。

ピアノ協奏曲第2番 作品18
10の前奏曲第6番変ホ長調 作品23(以上ラフマニノフ)
本日のソリストであるベレゾフスキーは1990年のチャイコフスキー国際コンクールでのピアノ部門で1位になった奏者トである(余談だが、このときのヴァイオリン部門の1位は諏訪内晶子であり、両者の1位受賞後記念演奏の様子は、独テルデック・レーベルからCDが発売された)。
クラシックのコンサートステージでは超人気曲になった本作だが、この曲を書いた時のラフマニノフは、直近作の交響曲第1番の不評に私生活のトラブルも重なり、その精神状態は最悪だった。ロンドン・フィルハーモニック協会の招きで渡英した彼は、そこでピアノ協奏曲の作曲依頼を受けるものの、プレッシャーからか再び精神の健康状態が悪化する。だが友人の精神科医の治療を受けて回復し、作曲したのがこの作品である。先に第二・第三楽章完成が完成して初演され、全曲の完成・初演は1901年、自身のソリスト、従兄弟であるアレクサンドル・ジロティの指揮によって行われた。
作曲者自身がピアニストとしても高い評価を受けていたこともあり、ピアニストには至難の技巧が要求される作品として知られている。第一楽章の冒頭和音は、ロシア正教の鐘を模したものだといわれているが、手の小さい奏者は、奏法を変えなければならないそうだ。
冒頭から力任せの響きを聞かせるソリストのピアノは、音色にキラキラ感が乏しく聞こえ、オーケストラもそんなソロに合わせてしまった感じがしてならない。だが第二主題に入ると、ピアノの音色からロマンの香りが漂い、オーケストラは旋律を豊かに唱わせる。曲が進むに連れて、テンポも微妙に早くしたり遅くしたりする29分あたりの表現は独特のものだが、ピアノの音色に透明感を感じさせてくれる。
第二楽章に入ると、オケはゆったり目のテンポで、旋律をしなやかにうたう。木管群とピアノの絡みは聞きどころ。ベレゾフスキーが目を閉じて演奏する場面が多く出てくるのは、それだけこの曲を自家薬籠に収めているからだろうか。中間部では、かなり強弱の差をつけ、曲の輪郭を描いている感じ。その後のピアノのソロパートは、作者自身が名ピアニストであっただけあり、技巧的にかなり難しい部分だが、ベレゾフスキーのピアノは、この曲がピアニストにとってかなり難しい曲であるということをわからせてくれる演奏をしてくれる。それは弱音部分も同じである。後半部分の曲想が明るさを帯びてくるのは、作者が精神的スランプを克服したことを明示している。
第三楽章に入ると、ベゾレフスキーはやや早めのテンポでサラサラ音色を奏でていく。と思ったら、ゆったり目のテンポになったり。主旋律のところは早めのテンポ設定、音色も微妙に強弱の差をつけていく。フィナーレもめちゃめちゃ指が回る。全体的に早めのテンポ設定だったが、これはソリストの意向か?それにしても、よく指の回るピアニストだなと実感。
アンコールで聞かせてくれたのは、ラフマニノフの10の前奏曲第6番変ホ長調作品23。ラフマニノフってロマンチストなんだな、というのがよく分かる小品。そして、どこか男らしさも漂わせる作品である。

交響曲第5番 作品100(プロコフィエフ)
1944年、モスクワ郊外の作曲者の山荘で作曲された作品。ピアノスコア、オーケストレーションにそれぞれ1ヶ月というハイペースで作曲された。彼の作曲意欲を刺激した背景には、ヒトラーが独ソ不可侵条約を破って祖国に侵攻したことで祖国愛に目覚めたこと、作品番号にあるとおり、この作品の数字が、彼にとって運命的な意味を持っていたからのようだ。彼は交響曲を7曲書いているが、この曲は彼の交響曲の中で一番人気がある作品である。
初演は1945年1月13日、モスクワ音楽院大ホールにおいて、自身の指揮・モスクワ放送交響楽団の演奏で行われ、この演奏はラジオで全国放送された。また同年11月には、セルゲイ・クーセヴィツキー指揮・ボストン交響楽団の演奏によるアメリカ初演が行われた。
後にプロコフィエフはこの交響曲について、以下のように述べている

戦争が始まって、誰も彼もが祖国のために全力を尽くして戦っているとき、自分も何か偉大な仕事に取り組まなければならないと感じた

わたしの第5交響曲は自由で幸せな人間、その強大な力、その純粋で高貴な魂への讃美歌の意味を持っている(1951年)

第一楽章 ゆったりと牧歌的なメロディーの直後に、ロシアン・アヴァンギャルド的な響きが交錯する、プロコフィエフ独特の響きが私は大好きだ。コントラバスが朗々とした響きのある歌を聞かせ、だがアタッカでは作者の苦悩が滲み出る。ロシア革命後、あちこちを転々とさまよった末に革命後の母国に帰った経歴を持つ彼にとって、スターリンみたいな人間と付き合うのは、大変苦痛だったのではないか?初演されたのが対独抵抗戦争(当時のソ連では、第二次世界大戦のことをこう呼んだ)が終わる4ヶ月前、その時は戦争の行方はほぼ見えていたから、トーンが明るいのは当然かも。アタッカの響きは、数々の苦難を乗り越えて勝利への道筋が見えたことを暗示しているのだろうか。それでも時折弦楽器から流れるメロディーは、買っても独裁者に怯えなければならない作者の嘆き節やメランコリックな心情が聞こえる。曲調が親しみやすいのは、スターリンが唱えた「社会主義モダニズム」路線に忠実に従ったからかもしれない。打楽器の連打は、ソ連軍の凱旋を祝うために違いない。
第二楽章はスケルツォートリオースケルツォの構成。爽快なテンポと、不安を奏でる弦楽器の響きが対照的である。トリオに入ってからの響きはますます軍隊調になる。トリオ終盤部の木管群の響きはソ連軍の勝利を祝ったものだろう。回帰したスケルツォは最初と比べてテンポが遅め。そしてだんだんテンポが早くなり、また当初のテンポに戻っていく。ピアノの音色が、不安な気持ちをさらに増殖させる。
第三楽章 一般に「叙情的な旋律を持つ」と言われているが、全体を貫くのはメランコリックな表情。どことなくほの暗い雰囲気が漂うのは、理不尽な戦争の犠牲になった兵士を弔うためか。1:25:00過ぎの金管群の響きは、戦場で命を落とした兵士たちが、母国に無言の帰還を果たした光景を想起させる。ときおり登場する高音は、遺族が嗚咽し、絶叫する様子を描写したのだろうか?兵士たちは政府から「お国のためによくやった」と讃えられるのだろうが、死んでしまってはなんにもならない。プロコフィエフは、この戦争をどう思っていたのだろう?
第四楽章 短い序奏のあと、チェロが主題を提示するロンド形式の楽章。その後木管部が2つ目の主題を提示する。曲調が明るくなるのは、死の恐怖から開放されるからか。内心は戦争には反対だ、そんなことを言ったらスターリンに殺されるから黙っていよう。でも本音は反対だ、ああ鬱陶しい。もうすぐ戦争が終わる。庶民も、この戦争が終わるのを喜んでいる。終盤になってテンポがこの上なく早くなるのは、喜びが抑えきれない人間的な感情がモロに出ている。音楽的にもそうだが、プロコフィエフの本音があからさまに出ているように感じる。

12の練習曲 作品25より4曲(
コンサートプラスは、ベレゾフスキーの若き日の演奏である。チャイコフスキー・コンクールで優勝した2年後の演奏で、私の記憶が正しければ、このコンサートは諏訪内晶子の凱旋コンサートであり、ベゾレフスキーの日本デビューだったはず。
曲目はショパン練習曲作品25から4曲。
練習曲変イ長調作品25−1「牧童」。正統的なロシア・ピアニズムに裏打ちされた美しい演奏。
練習曲ヘ長調作品25−3
3つの新しい練習曲から ヘ短調 この曲の響きは、プロコフィエフの交響曲に似ている感じがする。ロシアもポーランドもスラブ圏の国だから、余計感じるのだろうか?長年の亡命生活の悲哀がにじみ出ている。
練習曲ハ短調 作品25−12 すごく情熱的な作品である。当時のポーランドはロシアに併合され、民衆はロシア帝国の圧政に苦しめられていた。ショパンの憤りはいかばかりだっただろう。この作品からは、ショパンのロシアに対する恨みつらみ憎しみが盛り込まれていると感じたのは私だけか?

このエントリーをはてなブックマークに追加
はてなブックマーク - NHK交響楽団1767回定期演奏会
Share on Facebook
Bookmark this on Google Bookmarks
LINEで送る
Pocket